まことに神は、イスラエルに、
心のきよい人たちに、いつくしみ深い。
しかし、私自身は、この足がたわみそうで、
私の歩みは、すべるばかりだった。
それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、
悪者の栄るのを見たからである。
彼らの死には、苦痛がなく、
彼らのからだは、あぶらぎっているいるからだ。
人々が苦労するとき、彼らはそうではなく、
ほかの人のように打たれない。
それゆえ、高慢が彼らの首飾りとなり、
暴虐の着物が彼らをおおっている。
彼らの目は脂肪でふくらみ、
心の思いはあふれ出る。
彼らはあざけり、悪意をもって語り、
高いところからしいたげを告げる。
彼らはその口を天にすえ、
その舌は地を行き巡る。
それゆえ、その民は、ここに帰り、
豊かな水は、彼らによって飲み干された。
こうして彼らは言う。
「どううして神が知ろうか。
いと高き方に知識があろうか」
見よ。悪者とは、このようなものだ。
彼らはいつまでも安らかで、富を増している。
確かに私は、むなしく心をきよめ、
手を洗って、きよくしたのだ。
私は一日中打たれどおしで、
朝ごとに責められた。
もしも私が、「このまま述べよう」と言ったなら、
確かに私は、あなたの子らの世代の者を
裏切ったことだろう。
私はこれを知ろうと思いめぐらしたが、
それは、私の目には、苦役であった。
私は、神の聖所に入り、
ついに、彼らの最後を悟った。
まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、
彼らを滅びに突き落とされます。
まことに、彼らは、またたくまに滅ぼされ、
突然の恐怖で滅ぼし尽くされましょう。
略
私の心が苦しみ、
私の思いが突き刺されたとき、
私は、愚かで、わきまえもなく、
あなたの前で獣のようでした。
略
しかし私にとっては、
神の近くにいることが、しあわせなのです。
私は、神なる主を私の避け所とし、
あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。
夕方岐阜の竹内先生から、海苔の詰め合わせがいっぱい贈られてきた。
食べきれないので、明日の礼拝で、みんなで分けよう。どうやら。それそれ東北旅行に来そうな気配。4月頃には、奥さまが難病に罹り、危ぶまれたが何とか、歩行できるようになったという。合わせて、安藤さんも来れたらいいのに思っている。ご主人の昭さんが来たがっていたが、その前に召された。