イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月18日(木):節約と貪欲

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《余ったパンの切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい》(ヨハネ6:12)

エスが荒野で五千人を養い給う日に、多くの弟子たちは見たり聞いたりしていました。その一つは、イエスは落ちているパンくずを、一つ残らず拾うように弟子たちに命じました。これは私たちにとって大切なメッセージであります。・・・・・・・

北欧の国々では、倹約ということを、昔は今よりも重んじていたようです。昔の人は「かけらでも、やはりパンに違いない」と言っていました。床に落ちた食物は、どんなにわずかなものでも大切に取り扱いました。「神の与え給うもの」を踏みつけるといけないからです。すぐにかがんで拾い上げたものです。・・・・・・

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今日のみ言葉は、神は何一つ無駄にはなさらないことを、私たちに教えています。このことを私たちがはっきりつかむことが出来れば、私たちは節約を霊的奉仕の一部とみなすようになるでしょう。節約と貪欲との両者の間には、難解な点があります。貪欲な人は、ただ、自分のために節約しているにすぎないのだと、言い訳することが時々あります。そうかと思うと、倹約している人が、欲張りだと非難されることもあります。・・・・・

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節約と貪欲の違いは、一体なんでしょうか。それは、貪欲な人は何でも自分の為に倹約し、節約家は他の人に与えるために倹約するという点にあります。足ることを知っている人は、人に与えることを惜しんだり、自分の為に働いてくれる者に賃金を払うことをケチケチしたりはいたしません。否、むしろ自分自身の要求を満たすことを、控えめににして、最小限度まで引き下げ、家族の者にもこれを実行させるよう努力します。・・

節約を実行しようという意志と力をもって実社会に踏みだしていく青年こそは、真に心豊かな幸福な若人であります。私たちの国が、このような青年を、切実に求めた時代があったでしょうか。特に神のために節約を志す青年を。(O/ハレスピー著みことばの糧:より)

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