イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

12月15日(水):聖書注解書

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私たちが現在用いている聖書は、そのほとんどがギリシャ語で書かれたものである。それからラテン語の翻訳され、ご承知の通り、ルターによってドイツ語の翻訳されて以来、聖書は世界に広まっていった、という経緯がある。日本ではというと、キリシタンの時代に一部翻訳されたようであるが、本格的な聖書が印刷されたのは明治以降である。当然文語訳で、これさえ私たちの年代ではとても読み切ることはできない。・・・・・・

戦後出されたのがいわゆる「口語訳」と言われるもので私は、昭和37年頃に買い求めている、以来、長い間、この口語訳を読んで来た。それ以後いくつかの改定版が出版され、その都度買い替えてはきたが、改定訳にはなかなかなじめなかった。口語訳の言葉はシンプルで、読みやすかったが、改定訳はどちらかと言うと、意訳的要素が多く説明文を付け加えられたようで、馴染めない部分もあった。・・・・・・

そこで役に立ったのが「聖書注解」であった。「キリスト教学生会出版局」で出したもので、第5版を昭和42年に購入している。B5判三段組1250ページの大部の注解書である。もとより口語訳を土台としており、新旧全巻を網羅してある。それだけに、解説分はとても短く、よくよく聖書本文と照らし合わせて読まないと理解できないことがある。しかし、聖書を読み始めた頃は、どれほど役に立たかはかり知れない。もう一つこの注解書は特別な意味がある。高校の同級生当時は親友と言う間柄だったが、二十歳そこそこで結婚した。そのお祝いにいくばくかのお祝いを贈ったのだが、多すぎるというので半分が図書券でかえってきた。さて、と思案して、何に使おうか考えていたのだが、ふと、その頃通っていた横浜戸塚にある教会で、水曜日の祈祷会で、牧師がよく使っていた注解書を思い出した。あれがほしいな、と思い次の日曜日午後、有隣堂?。善隣堂?、とか言う本屋さんへ行って買い求めた、定価4500円、本も安い時代であった。今なら4~5万円の値段がついている。・・・・

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その後沢山の解説書、信仰図書を読んできたが、いざとなると不思議にこの注解書にかえってくることがよくある。榎本保朗師の一日一章は、長年お世話になった。羽鳥明師の詩篇の講解は、面白かった、O・ハレスピーの霊想の書は、少し気難しいが、本当だろうなと思う。ここ二三年は、W・バークレーに浸かりっきりになっているが、段々、臭み(失礼)が目立つようになってきた。

随分ブログに利用転載させていただいて、今さらこんなことを書いたら、あちらへ行ったら、バークレ博士に叱られるかも知れない。・・・・・・・・

さて?。これからどうしよう。と考えている。一番いいのは聖書をきちんと読み直す事だろう。余計な解説書を当てにせず、みことばと向き合ってみようと思う、その時一番役立つのが、シンプルな解説をしている、やはり、おらが秘蔵の「聖書注解」であろう。

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