イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月11日(木):ショパンが好き

ショパンが好きと聖子が言った。私はジャズ以外の音楽には興味はなかった。幸いな事にショパンは本で読んで知っていた。ジョルジュ・サンドとの恋物語も読んだ。

『ピアノの詩人』。と言う聖子に、ふむ、ふむ、わかったような、わからないような答え方をした。

ノクターンは本当にそうなの』

ノクターンか、今度レコード買ってみようなどと殊勝なことを考えた。活字と音楽とは違う。ノクターンを買って来て聴いてみた。なるほどと思って聴いた。確かにこれは「詩」だなと新たな発見をした。それは言葉や文字で表現できるものではないけれど、その旋律は、人の感性に「詩情」を想起させるものがあった。・・・・・・

『わたし、お掃除が大好きなの」。といつも周りの片づけをしていた。そんな聖子を女房にしたら、無精者のわたしは、いつも寝ていられるな。楽だなと不埒なことも考えた。サークルの仲間たちは、いずれあの二人は結婚するものだと思っていた。

 ただ、わたしには気になることが一つあった。子供にピアノを教えている者が芸術家であるかは別にして、それに類する人たちは、感受性が鋭く、普通の人が普通だと感じることに過剰に反応するきらいがあるようである。そのことは多少聖子にもみられた。ただ、それが結婚の妨げになるとは思えなかった。わたし自身癖の多い男なので、まぁ、お相子くらいのことだった。・・・・・・・・・

 その夜も、人形劇のサークルの稽古を終えて、暇な者たちが、わたしの会社の社宅に集まってコーヒーを飲んだり、一人暮らしの男の冷蔵庫を勝手に開けて、台所で簡単なものを作って食べていた。聖子は、いつものように四合瓶のお酒を抱えてくるのだが、その夜は、抱えていなかった。それからひとしきり談笑の時を過ごしてお開きになった。

 わたしは見送りに外に出た。徒歩で帰る者、車で帰る者それぞれだったが、

聖子が近づいて来て、『これから、ドライブしない?』と声をかけてきた

『今晩はもう、おそい』。とわたしは答えた。

人の言葉は、時に多様なニュアンスを含んでいる。また、オブラートに包んだ表現をする。親しい者同士は、敏感にそれを感じ取るが、時々、失敗することがある。

『お話があるの、ドライブしない』という聖子の申し出であれば、『そう、じゃ、出掛けようか』と確実の答えていた。そして、もう少し優しければ『今日は疲れているから、明日にしようか』とも答えられた。

『今晩はもう遅い』。は多分聖子にはぶっきらぼうに聞こえたに違いない。その日を」境に聖子との間に微妙な距離が生じた。最後までその距離をちじめることはできなかった。・・・・・・・・

 会社から、転勤の辞令が出た。金融関係の職場には転勤は避けられなかった。地元採用の事務員を除けば、4~5年位で任地が変わるのが普通であった。次の集まりの時に、リーダーに「4月から転勤で新潟に行くことになった」と報告した。みんな残念がってくれたが、こればかりは如何ともしがたかった。「連名で、会社に転勤取り消しくれるよう嘆願書を出そうか」と、」言い出す者もいたが、有難い事ではあるが、出来ることではなかった。聖子は押し黙っていた。・・・・・・・・

わたしは新潟県直江津に赴任した。そこに三年いた。両親が弱ってきたので、帰郷せざるを得なかった。帰る途中、人形劇場のリーダーを訪ねた。

そこで、聖子が結婚していたことを知らされた。教師をしていた父親が見込んだ相手で、彼女も断わり切れなかったようだった、と教えてくれた。

他の仲間たから聞いたことだがと、前置きして『聖子ちゃん、随分悩んだようよ。あなたと別れる少し前から、そのお話があって、一応お見合いもさせられたようだし、結局、父親に押し切られたかたち・・・・・」

本当のことは誰もわからない。

案外これで良かったかなと。わたしには思えた。nえが

いずれにせよ。聖子がしあわせっであることを願いながら、リーダーのもとを後にした。