イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月3日(月):アシジのフランシス

フランシスコ

 

陽気な高笑いが石造りの牢獄中にこだました。「あれは、フランシスの奴だな。祭りにでも来た気分でいやがる」。同じ部屋の囚人たちがぶつぶつ言っていた。もう一人の囚人は、ため息をついて言うのだった。「だが奴が愉快にしていられるのは当然さ。両方の町の間に仲直りができれば、自由の身になれるんだからな。

 十三世紀のはじめ、二十一歳のイタリア人であるフランチェスコ・ベルナルドローネは、彼の町アッシジと隣の町ペルージャとの戦いで、捕虜になっていたのである。投獄は彼の騎士になる夢を中断していた。

 しかし、一年後の1203年11月、フランシスは自由の身となり、彼の属する上流階級が楽しんでいたゲームと祭りとパーティーの生活に戻った。友人たちは彼を大歓迎した。フランシスが冗談や陽気な仕草でいつもパーティーの中心になっていたのを覚えていたからである。ところが、家に帰ってから二三週間後に、フランシスは重い病気になった。ある日、危険な状態を脱し、いくらか体力も回復したので、彼は長い道のりを歩いて田舎の方へ行った。春の花の芳香を楽しむためである。ところがそれどころではなかった。と言うのは、良心が、いたずらに過ごした青年時代をしきりに想い起こさせたからである。

 それからしばらくたって、フランシスは、一人の騎士から宗教戦争を助けるために加わらないかと誘われた。戦争での血わき肉躍るような経験が、この憂鬱な状態を吹きとばしてくれるかも知れない、そう思って、フランシスは盾を取り、馬に乗って出かけた。ところが、途中で、またもや病気になり、次の日にはほうほうていで家にたどりついた次第であった。

 病も回復するころになると、フランシスはますます人生が無意味なものに思えてやりきれなかった。彼はふと、父親の店の外で街路にたむろしている沢山の乞食や貧民に目を向けた。ケチな商人であった父を怒らせたりしたが、彼は沢山のお金を貧しい人たちに恵むことによって、自分の人生に目的を与えようとした。ある日、病気がすっかり治ったフランシスは、父の店を手伝っていた。すると一人のみすぼらしいなりをした乞食が店に入ってきて、「何か恵んでくださいな。若旦那、神の御名によって、どうか・・・」と哀れっぽい声を出した。じりじりしていたフランシスは、目をあげもしないで「行ってしまえ!」と叫んだ。乞食は慌てて通りの方へ逃げて行った。

《もしあいつが男爵の名によって物乞いしたのだったら、俺は何かを与えたであろうがあいつはそうしないで、神の名によって求めたから追い出したんだ》と、フランシスはその男が去ってしまってから思った。ふと衝動的に、フランシスは、店を飛び出し、乞食を探しに行った。

 貧しい人々の窮状や自分をめぐる生活の上での不公平が、ますます彼の心に迫って来た。しばしば、彼はそっと抜け出して、人里離れたほら穴へ行き、「主よ、私に人生の目的をお示しください」と祈るのだった。

 父親が息子がふさぎ込んでいるので、叱った。友人たちは、貧乏人のことなんか忘れて、今までのような生活に返るように、彼に忠告した。それでも、フランシスは忘れることができなかった。

 1206年のある日、フランシスは、郊外の荒れ果てた古い教会で祈っていた。すると、キリストがはっきりと自分の心に語られるのを感じたのであった。『主イエスよ、あなたの光りで、私の心の暗闇を照らしてください。主よ、私を見いだしてください。すべてのことにおいて、あなたの聖なるみこころにのみ従って、私が行動することができますように』と、小声で祈った。彼は耳を澄ませた。そうして、後日、彼が神のお答だと言明した、次のようなことばを聞いのである。『わたしは、あなたを受け入れた。いま、わたしはあなたの労力、あなたの生活、またあなたの全存在を、わたしものとしたいのだ』。幸福と新しい平安に満たされて、フランシスは急いで家に帰った。そして、自分のすべての所有物を売って貧しい人々への使徒となる決心を父に伝えた。

 商人である父は激怒した。脅しても透かしても効果がないとわかると、彼は正式にフランシスを勘当してしまった。フランシスは、それまで身に着けていた衣類とお金を無造作に父に投げ渡した。父はそれを受け取ると、冷淡にも背を向けてしまったのであった。フランシスは庭師が貸してくれたマント一つまとって、アッシジの町を出て行った。

 次の二年間、フランシスは托鉢したり、野外で眠ったりして過ごした。1209年、二十七歳のとき、それ以後の彼の生涯を決定づけた神からのメッセージが与えられた。彼はマタイの福音書10章8節~10節の次のようなイエスのおことばを、自分に対する直接の御命令であると信じたのである。

『病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。胴巻き金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです』

 このみことばは、フランシスに自分が正しい道に立っていることを確信させた。彼は靴と胴巻きを捨て去り、この聖書の命令に従って生活しようとする考えに共鳴する仲間を集め始めた。彼らはお互いを兄弟と呼び合い、二人ずつ組みになり、福音を伝える旅に出て行くのだった。そして、町の広場や市場で歌ったり、説教したり、食物や衣類を貧しい人々に配ったりした。

 修道会に入ると兄弟たちは、全所有物を売り、その代金を貧困者に施した。兄弟たちは、これまでの生活のために仕事を続け、手に職のない者は学び取り、それによって得た金を貧しい人に施すことになっていた。

 人びとは、この貧しい兄弟たちと富を誇っている利己的な教会の指導者たちとの相違に、すぐに気づいた。兄弟たちが道徳的にきよい生活を送っているのに反して、指導的な立場にある聖職者たちが自分たちの言語道断な罪を冗談めかしてごまかしていることに気づいたのである。フランシスとその兄弟たちの働きは、暗黒時代における清純なリバイバルの息吹であった。そして彼は貧者への使徒として、わずか17年間を生きただけであったが、その模範は、今日あらゆる教派のクリスチャンに感化を及ぼしている。ルターより三百年も前の人であるこのフランシスが、プロテスタントの教会史家フィリップ・シャッフから、「暗黒時代の霊的な光の一つ」とさえ呼ばれているのである。