イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10(火):皇帝礼拝

ローマは巨大な帝国で数多くの国家、民族、言語、伝統などの異分子を含んでいたため、これらを統制することは大きな問題であた。そのためには、その雑多な諸民族に共通した一つの強力な行為が必要であった。その目的で、皇帝自身の虚栄心の満足も含めて、ここに案出されたのが皇帝礼拝であった。すなわち彼らの論理によると、ローマ皇帝はローマの精神の具現者であるゆえに神である。それでローマの帝国内の居住者は、その民族、宗教、伝統のいかんにかかわらず、年に一回ローマ長官の前で、皇帝の像に香を焚き、「カイザルは主である」と言明しなければならいと言うのである。

『カイザルか? キリストか?』

クリスチャンは、この二者のうち一つを選ばなければならなかった。そしてクリスチャンは、もちろん、皇帝を主と呼ぶことを徹底的に拒絶した。クリスチャンにとっては、イエス。キリストのみが、唯一の主であり、神であるからである。ドミチアヌスは、この皇帝礼拝を強制した最初の皇帝であった。彼は「神聖なるブェッスパシアヌス帝の嗣子、神であるティトゥスのために」記念碑を建て、また自分の金や銀の像を各地の神殿に据えて礼拝を強要した。彼が王妃と共に劇場に到着すると、観衆は起立して、「我らの主と妃に栄光あれ」と唱和するように命じた。

 かくて自分の像を礼拝することを拒否したクリスチャンを、国家への反逆者として死刑に処し、その財産を没収した。彼は使徒ヨハネを捕らえて、地中海の一孤島パトモスに流刑に処した。アンデレ、マルコ、オネシモ、アレオパギイタのディニシウスが殉教したのも、彼の迫害のときであった。イレナイオスは、彼のことを「反キリスト」と呼んでいるが彼はまさにそのような人物であった。彼はまた、自分の帝位が脅かされるのではないかと邪推して、イエスの親族の者をローマへ召喚し、尋問したその間の消息を歴史家ヘゲシッポスの伝えるところを、エウゼビオスがその教会史に、次のように再録している。

彼らは主の家筋に属する者で、主の兄弟と呼ばれたユダの孫たちは、まだ存命していた。彼らはダビデの家筋の者である報されて、召喚者によって、ドミチアヌスのもとに連れてこられた。この皇帝はヘロデのように、メシヤの出現をひどく恐れていたのである。皇帝は彼らに尋ねた。

「お前たちはダビデの族であるか」。彼らは告白して言った。

「仰せの通りです」。皇帝は尋ねた。

「お前たちはどのような財産があるか?。またどのくらいの金を持っているか?」

彼ら二人は答えて言った。

「ふたりで二千デナリしか持っていません。しかも現金ではなくて、わずか39エーカーの土地の代価として持っているのです。私たちは労働して、その土地の収入で税金を払い、生活を立てているのです」。彼らはそう言って、手を差し伸べて証拠として、の労働で硬皮が出来、またからだが固くなっているのを示した。

皇帝は続けて問うた。

「お前たちの信じているキリストと、キリストの国の性質は何であるか?。それはいつ、どこで、出現するのか?」。彼らは答えて言った。

「キリストの国はこの世の国ではありません。またこの地上にうち建てられる国でもありません。それは天の国、また天使たちの国です。それはこの世の終わりに、キリストが栄光の中で、生ける者と死せる者とをさばき、すべての者にそのわざに従って報いを与える時に出現するのです」

皇帝はこれを聞いて、彼らを軽蔑して返事もせず、彼らを嘲弄して馬鹿者扱いにして退出させ、布告を出して迫害をやめさせた。こうして彼らは死をまぬがれ、主の証人また親族として教会を治め、トラヤヌスの時代まで生き延びたと言われている。