イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

4月1日(火):ガラテヤ書 (結びの言葉)

『ご覧のとおり、私は今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています・・・・・・・』(ガラテヤ書6章11節~718節)

もともとパウロは、筆記者が彼の口述を筆記した手紙に、署名を書き加えるだけであった。しかし、この場合、ガラテヤ人に対する愛と心配とであふれ出る感情があったので、パウロは最後に段落全体を自分で書き記している。「ごらんなさい。わたし自身今筆をとって、こんなに大きい字で書いている」とパウロは述べている。大きい文字で書かれたのは三つの理由による。

(1)。この段落は、その重要性を強調するために、丁度、大文字の活字で印刷されたように、大きく書かれたものかも知れない。

(2)パウロはペンで揮毫することに馴れていなかったし、大きく書くのがパウロにとって最も書き易いことであったかも知れない。

(3)パウロの目が弱っていたか、目もくらむような頭痛が彼を襲っていたかも知れない。それでパウロが全力を尽くしてなし得たことは、ほとんど目の見えない人が書くような無様で、大きい文字を書くことであったかも知れない。ここでパウロは、もう一度問題の核心に戻っている。ガラテヤ人に割礼を受けさせようとする人は、三つの理由からそれをしている。・・・・・

①。割礼は彼らに迫害をまぬかれさせてくれるであろう。ローマはユダヤ教を認め。ユダヤ人がその習慣に従うことを公に許可していた。割礼はユダヤ人であることの絶対的なしるしであった。だから、これらの人々は、万一迫害がおこったとしても、割礼によって安全への通行許可証を得られると知っていた。割礼はユダヤ人の憎しみからと同様に、ローマの法律から彼らを無事に守ってくれるであろう。

②。割礼および律法の規則を守ることによって、結局、彼らは神の承認を勝ちとる機会を増加させようとしていた。パウロは人が為し得ることによって何一つ救いを勝ち取ることはできない、ということをはっきり確信していた。そこでパウロはふたたび、神の恵みと愛とが豊かに顕示された十字架を彼らに示している。彼らはガラテヤの人々が自らの手で救いを勝ち取ろうとすることを辞めて。これほど彼らを愛してくださる恵みに信頼を置くように勧告している。・・・・

③。ガラテ人に割礼を受けさせたいと願っている人々は、自分たち自身が律法を守っていなかった。律法を完全に守れる人は一人もいない。しかし、彼らはガラテヤ人を、自分たちの最も新しい回心者とし、戦利品であるとしてうぬぼれたがっていた。彼らは、自分たちの律法的救いに帰依した人々に、自分たちの権力を及ぼして、栄光を得たいと願った。そこでパウロはできるだけの熱烈さをもって、割礼のあるなしは、問題ではない、重要なのは、その人に新しい生活を打ち開いてくださり、その人を新たに作り変えられるキリストを信頼し、信じる行為である、書き記している。パウロは、「わたしは、イエスの焼き印を身に帯びて」いると述べた。この言葉から二つの意味が汲み取れる。・・・・

(1)。スティグマタは、常に人を魅惑してきた。アッシジのフランチェスコについて言わるれことがあるが、彼はある時寂しい山頂にじっと座っていた。フランチェスコには、地平線上全体に広がる十字架に架けられた愛の神を見たように思えた。それを見ていると、彼の心は悲しみと憐れみの剣で刺し通されてしまった。その幻影は次第に消えて行き、フランチェスコ我に返った。人々が伝えるところによれば、その時、フランチェスコが見下ろすと、彼の両手に釘の跡がしるされており、生涯そのしるしは消えることがなかったという。この話が真実であるか、あるいは伝説であるのか断定はできない。この世界には、私たちの平凡な哲学が夢想することもできない事柄が存在するからである。パウロは、主と共に十字架につけられた経験を、あまりにも如実に経験したために、パウロもまた、その手に釘跡を帯びることになった、と考える人々もいる。

(2)。しばしば行われることであるが、主人は自分の奴隷を、自分の所有物であることを示すためにしるしを付けた。パウロの述べているのは、「わたしがキリストのために受けた傷跡とか、他のしるしとかは、わたしにとってキリストの奴隷であることを示す標識になっている」という意味に考えるのが最もふさわしいようである。最後に、パウロが訴えの根拠としているのは、使徒的権威ではなくて、キリストの故に負っている傷の故であるという。「真理のための英雄氏」

(訳注:バンヤン 天路歴程)のごとく、パウロは述べている。「わたしは今に報いを与えてくださる主に対して、わたしの証しとするため、わたしの傷跡やしるしを身に帯びているのである」。かくて、手紙には、嵐と強調と緊張の後に、祝福の平安が訪れる。パウロ論議したり、(叱ったり、おだてたりしたけれども、その最後の言葉は「恵み」である。これこそパルロにとってただ一つ重要なことばなのである。(ガラテヤ人への手終わり)。