イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月12日(木):風と共に去りぬ

おとといの夜「風と共に去りぬ」の後編を見た人は、日本中で3000万人に達したと日本テレビはいっている。6億円で買ったフィルムだというが、3000万人で割れば20円、後編だけなら10円だ。一人あたり10円でこの娯楽大作を楽しめるのだから、3000万人という数字はものすごい。古い映画だが大変よくできているからであろう。ハリウッドは陽気で、楽観にあふれていた時代だった。カネを惜しまず作った南部娘と北部の色男とのロマンスが空前のヒットとなった。・・・・・・・

原作者のマーガレット・ミチェルは、この一作を書くために生まれてきたような女性だった。はじめは新聞記者をやっていたが、花形記者という訳でもなかった。26歳の時、足をくじいて記者家業をやめ、この小説を書き出した。最初に終章を書き、各章バラバラに作っていった。最後に書いたのは、スカーレットとバトラーの出会う一章だったと本人は言っている。7年かけて完成したが、これ以外には何も書かなかった。この世紀のベストセラーは、買い手がつかずに、3年間原稿のまま眠っていた。たまたまアトランタ市に寄った出版社の人が、ニューヨークに帰る汽車に乗るとき、ミッチェルの友人から無理矢理にトランクを持たされた。中には「無名の女性が書いたメロドラマ」の原稿でいっぱいだった。・・・・・・

彼は読む気はしなかったが、ボーイが電報を持って来た。「ゲンコウタノム」。Ⅰ時間も経たぬうちにまた電報が来る。3本の電報が来て、しぶしぶ原稿を読み始めた。やがて

、ニューヨークまでの時間が短すぎると思うようになったと、米マクミラン社のレイサム氏が思い出を語っている。ミッチェル墓を見たことがある。「アトランタに生まれアトランタに死す」と刻んだだけの質素なものだった。写真で見ると、人のよさそうな南部のおばさんである。(深代淳郎:天声人語;S50年10月17日)。