
国が違えば、人間の習慣やエチケットも違う。ところ変われば品変わるわけで、その違いをすぐさま彼我の優劣にして論じようとは思わないが、日本人の会話の特徴に相槌があることに気づいている人は意外に少ないのではないか。相手の話を聞きながら、絶えずうなづき、相槌を打つ。その極端な形が漫才の掛け合いで、「よいお天気ですね」「さよう、ホントに日本晴れで・・・・」「昨日大阪に行って来ました」「ほう、大阪にね」
「新幹線に乗りました」「あぁ、夢の超特急ですな」という調子になる。しきりに相槌を打つのは、誠心誠意、お話を伺っていますと言うゼスチャ~なのだが、外国人からみると漫才の掛け合いのように少々オーバーで、煩わしさを感じるらしい。・・・・
2年ぶりに欧米の駆け足旅行をして、旧知の友人たちとおしゃべりをしてきた。こういう話を一般論にするときの危うさは承知しているが、雑談していると、相手はじっとこちらの目を見ながら聞いている。たまにうなづくことがあっても、日本人に比べればおそろしくその間隔が長い。そんな時、外国に来たなという実感がわいてくる。中には、こちらの話がひと区切り終わると、「なるほど、面白いね。チャレンジングな説だな」と言い方をする人もいる。そういう反応の仕方には、会話の小気味良さを感じることもある。辞書には「チャレンジ」は「挑戦」「チャレンジング」「挑戦的」という訳語が載っているが、どうもぴったりしない。ぴったりしない日本語がないというのは、言葉の問題ではなく、その言葉の意味する概念が薄いと考えるのが自然だろう。・・・・・・
物価高の大勢に抗して値下げを断行する商法も「チャレンジ」だし、蛍光灯を使って絵を作る手法も「チャレンジ」である。法定選挙費用で当選して見せるのも「チャレンジ」である。別の言い方をすれば、「チャレンジ」には、少数派の異議といった響きがこもっている。(深代淳郎)。後半少し削除した。珍しく、くどいように感じた。
