
【まことに、まことに、あなたがたに告げます、一粒の麦もし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かに実を結びます。自分の命を愛する者はそれを失い、この世でその命を憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。自分の命を愛する者はそれを失い、この世でその命を憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです(ヨハネ12章24~25)
驚くべき逆説。イエスの語られたこの逆説は、一体どのようなものであろか。イエスは三つのことを言われたが、それらすべて 、中心的な真理を異なった角度からみたものであり、キリスト者信仰の生活の中心にあるものである。
Ⅰ。 生はただ死によってのみもたらされる。麦の実がただ安全に保存されているだけでは、役に立たず実も結ばない、それが実を結ぶのは、それが冷たい土の中に投げ入れられ、丁度墓に葬られるようにそこに埋められた時である。教会が成長したのは、多くの殉教者の死によるものである。「殉教者たちの血は教会のいしずえである」人が本当に神に用いられるのは、しばしば、自分の個人的な目的や野望を葬る時である。
Ⅱ。わたしのいのちをささげることによっていのちを保持する、とイエスは言われる。
自分のいのちを愛する者は、二つの目的に動かされている。彼は利己主義に動かされ、安全でありたいとという欲求に動かされている。自分の安全と出世、この二つが生を駆り立てている力である。
Ⅲ。イエスは新しい人生観をもってユダヤ人の所に来られた。彼らは征服、権力の掌握
支配する権利を栄光と考えていた。イエスは十字架という栄光を求めていた。イエスは人々に言った。いのちは死によってのみもたらされる。いのちを消耗し尽くすことによってはじめていのちが保持される。わたしたちがそのことを考えると、キリストの逆説は常識の真理に他ならない。しかし、そこにこそ非凡さがある。・・・・・・・・

今日はヨッコちゃんが秋田へ来てから3年目、元気でいるかなぁ~。