
イスラム教徒は毎日、一定の回数神に祈らなければならない。そうするために彼らは祈祷用の敷物を持ってあるいている。どこでも、彼らは祈祷用の敷物を広げて、ひざまずき、祈りを唱え、そして立ち去っていくのである。人を殺そうと刀を振りかざし追跡していたイスラム教徒の話がある。丁度その時、祈りを知らせる鐘が鳴った。直ちに彼はたちどまり、その場に祈り用の敷物を広げ、ひざまずき、出来るだけ早く祈りを唱えた。そして立ち上がり、殺人のために追跡をはじめた。その祈りは単なる形式であり、習慣であり、外面的実行であり、ただの殺人の過程の中の適宜な中入りに過ぎない。宗教を外面的儀式と同一視する危険ほど大きな宗教的危険はない。善をいわゆる宗教的行為と同一視することは、一般的に見て最も多い宗教的誤りである。教会出席、聖書を読む事、注意深く献金する事、時間を定めた祈祷でさえも、人を善人にはしな愛。基本的な問題は、その人の、神、または仲間に対する心情はどうかと言うことである。そして、もし、彼の心情に敵意、苦み、恨み、高慢があるならば、あらゆる外面的な宗教的形式は、彼を偽善者以外の者にはしないのである。
