イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月21日(火):告別式

安倍貞子姉。旧姓、中田。仮名:(80歳)の告別式が19日(日)午後3時から当教会で執り行われた。司式は秋田キリスト教会の中野渡牧師がして下さった。彼女は旧くからの知り合いで、ルーテルの教会で会って以来50年近くになる。昨年度々恩寵教会の礼拝に出ていたが。すこぶる評判が悪く、出入り禁止にした。他にも、出入り禁止にされた教会もあって、どこへ行ってもお言い出され、詰まるところ渡先生のところにお世話になっていたらしい。そんな彼女を何度も見舞って、結局、火葬、葬儀の手配をして下さったのが渡先生、浅野先生ご夫妻であった。それにしても、よもや、当教会の納骨堂に彼女の遺骨が納められるとは想いもしなかった。これもまた、主のご配慮と、先生たちの愛のご奉仕なのであろう。

『神は豊かな人生を愛されるように、何の実も結ばなかった人生をもお愛しになる』

・・・・アントニー・デ・メロ神父様の言葉を弔いの言葉にしよう。・・・・

    愛せよと主のお言葉に戸惑いてこの人だけは思う日のあり

5月26日(木):十二使徒

1・・シモン・ペテロ《ペテロは聖霊の炎を浴びて、エルサレム教会を設立し、のちにアジア、アカア、ローマに伝道した。彼はローマで逆十字架に架けられて殉教した。復活の主がガリラヤ湖畔で予告された通りであった。》

2・・ヤコブ《彼は主としてガリラヤ地方で伝道し、その影響力が余りに強いので、ヘロデ・アンテパスは彼を捕らえて惨殺した。紀元44年春のことであった。彼は十二使徒の中の最初の殉教者であった。》

3・・ヨハネヨハネはエペソで伝道し、激しい迫害に会い、油釜の中に投げ込まれたが、不思議に助かり、パトモスに島流しにされた。許されてエペソに帰って後、天寿を全うしたとも、殉教の死を遂げたとも言われている。しかし、世紀末まで、忠実に主の証しを続けたことは確かである。》

4・・アンデレ《アンデレは、アカヤで伝道し、パトラの総督の妻マキシミラの重病をなおしてあげたのに、キリスト教嫌いの総督は、アンデレをとらえてX形の十字架に架けたと伝えられている。X形十字架は今に至るまで、アンデレの十字架と言われている。

5・・ピリポ《ピリポは晩年、アジアからギリシャ地方に伝道した。伝説によると、彼はヘエラポリスの人々の大蛇礼拝を攻撃したために、総督の怒りを買い、捕らえられて裸にされ、くるぶしとふとももを槍で突かれ、頭を下に逆さ吊りにされて、処刑された。》

6・・パルトロマイ・ナタナエル《イエスを「神の御子、イスラエルの王」と告白したナタナエルは、アルメニヤ王ポリミヤの娘の狂気を癒したり、人民に偶像を捨てて、キリストを信じるように導いた。王の弟は奸計をもって王位を奪い、異教の祭司らと共謀して、ナタナエルを捕らえ、生きながら皮をは剥ぎ、アルパノポリスという所で十字架につけた。》

7・・レビ・マタイ《マタイは取税人であったが、イエスにふれて、更生し、ペルシャ、マケドニヤ、エチオピアで伝道し、アレキサンドリヤで殉教したという。また、ユダヤ教聖典タムルッドには、彼はサンヘドリンによって裁かれ、死刑に処せられたと記されている》

8・・トマス《トマスは一度は主イエスの復活を疑ったが、生ける主にお目にかかった後、彼は終生、主の復活の福音の証し人となった。外典「トマス行伝」には彼はインドのグンダフォルス王のために天に宮殿を建てたという話が載っている。彼はマイラボァで、バラモン教徒のために、石で打たれ、槍で突かれ殉教したという。近くの大トマス山に残っている彼の記念碑に、「この人は十字架刑にあった、彼は真の神に、常に変わらぬ忠実な証人であった」と記されている》

9・・小ヤコブ《アルパヨの子ヤコブについては、彼の名前の他に何も聖書に記されていないので、「忘れられた使徒」と呼ばれている。しかし、彼はペルシャに布教師、大いに成果をあげたが、異教徒の迫害を受け、十字架に架けられとも、また鋸で引かれたとも伝えられている。》

10・・ユダ・タダイ《「ヨハネは彼をイスカリオテでないユダ」と呼んでいる。エデッサの王アブガルスが難病で苦しんでいたとき、彼は主の代理として、エデッサに赴き、王を癒した。彼は他にアッシリヤ、ペルシャに伝道し、迫害の中に殉教の死を遂げたと伝えられている》

11・・熱心党のシモン《シモンは国粋的政治結社に属し、武力をもってイスラエルを独立させようと考えていた。しかし、彼はイエスに出会い、その人の人格に魅せられた。イエスの説いた「神の国ー愛の王国」の勇士として、エジプト、シリヤ、メソポタミヤに宣教した。紀元73年4月、熱心党員わずか千人足らずで、マサダの砦に立てこもり、ローマ軍を相手に戦うこと3年、全員玉砕したと、はるか伝道地で聞いた時、旧友のために嘆き、今さらのように平和の君に選ばれたことを感謝したことであろう。伝説によると、彼はペルシャのスアコーにて、魔術師に扇動された町民たちのために鋸で引かれて殉教したという。かつては人に命をなんとも思わなかった暴力団員(熱心党員)が、今や、人の魂の救いのために生命をささげたのである》

マサダの砦のわずかな生き残った婦人たち

12・・マッテヤ《イスカリオテのユダ十二使徒に選ばれたのに、金銭に目が眩み、主を敵に売り渡し自決してその生涯を閉じた。マッテヤは、その補欠として使徒に選ばれた。彼は彼はエチオピヤへ行って宣教したが、石打ちにされ、十字架に架けられ、その上、首を斬り落とされて、壮烈な最後を遂げたのであった。

(宮坂亀雄著。炎の人々より)

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『まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです』(ヨハネ福音書14章12節)

 

5月14日(土):墓参

ハンセン病でミヨさんが召されてから、8年になる。どこのお寺さんも葬儀を出してくれず、長男が私の所へお願いに来た。葬儀の参列者は三人の息子と、私たち夫婦、それに葬儀社の担当者の6人だけ、つましい葬儀であった。4月26日に墓参りをしてふと、見上げると、アブラハムのふところにラザロがいて、その傍らにミヨさんがいるような気持にさせられた。(ルカの福音書16章25節)