目を閉じて 何も見えず 哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
ああ 砕ける宿命の星たちよ
せめて密やかに この身を照らせよ
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
呼吸(いき)をすれば胸の中
凩は吠(な)き続ける
されどわが胸は熱く 夢を追い続けるなり
ああ さんざめく 名もなき星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ
我も行く 心の命ずるままに
我も行くさらば昴よ
ああ いつの日か誰かこの道を
ああ いつの日か誰かこの道を
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴よ
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ひと悶着があった。FBでアーサー・ホーランドが、十字架を負わせいる写真があった。担いでいる人には落ち度はないが。昔、アーサーや、井上薫たちが、街中を十字架を担いで歩く、「パフォーマンス」をやっていた。そのことに、不快感を覚えた。加えて、担っていた十字架が、きわめて非現実的であり、そのパフォーマンスを見る人に、誤ったメッセージを与えるおそれがある。常識的に考えて、ピラトの法廷から十字架そのものを担ってゴルゴタの丘まで、健康な男子でも運ぶのは無理である。当時のローマの処刑方式は、縦の杭をあらかじめ立てておき、横棒は受刑者に負わせるという方法を採用していた。屈強な自分たちでさえ、十字架の下にキャスター(戸車)をつけなければ、かつぎ運ばないものを、どうして鞭打たれ、(瀕死)の状態であるイエスが担ぎえるのか。クレネ人がその横木をになった。でも、聖書には「十字架」と書かれていいるではないかという、疑問を持つ人もいるかと思うが。その語は、ギリシャ語で、原意は「杭」を意味する言葉である。写本が変遷するうちに、いつしか杭が十字架と理解されるようになっていったのだろう。。
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昨日も書いたがここいらあたりで、しばらく、休養する。さらば昴よ。またいつの日か、会える日を楽しみにしている。ご愛読ありがとうござしました。