イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月20日(土):故障

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ここしばらくPCの調子がよくありません。修理に出すか、買い替えるか販売店と相談してみます、よってしばらくお休みしますので、ご了解くださいませ。なお、以前のものは、WEBで、または、スマホで、「イミタチオクリステイのブログ」で検索すれば、見られると思います。または、関連記事をお読みいただければ幸いです。

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11月19日(金):悪からお救いください

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《私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください》(マタイ:6章13節)

言わずと知れた主の祈りの最終節。

ある男が戸口に腰かけてパイプを吸っていると、隣人が訪ねて来て側に座り、彼を誘惑した。「お前には金もないし、仕事もない。ここに立ち直る道がある。骨が折れる仕事でなくて金が入る。世間一般の人たちがいつもやっている事と比べて、特別悪いことではない。こんな機会をのがしたら馬鹿を見る。さぁ、来い。早速話をつけようではないか。」この男は黙って聞いていた。その時、若い妻が赤ん坊を抱いて小屋の戸口に来て、「ちょっと、この子を抱いて下さい。私は洗濯物を干してきます」と言った。男は赤ん坊を抱いて膝にのせた。膝に抱かれた子供が見上げる目でこう語った。「私はあなたの肉の肉。魂の魂です。あなたの導くままに従います。お父さん、私はあとについて行きます」この男は隣人に言った。「帰ってください。もう二度と来ないでください」罪の結果が自分にだけ及ぶのであれば罪を犯すような人でも、その罪が、誰かを傷つける、苦しめると思う時に、誘惑に対して強く抵抗できることがある。

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11月18日(木):節約と貪欲

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《余ったパンの切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい》(ヨハネ6:12)

エスが荒野で五千人を養い給う日に、多くの弟子たちは見たり聞いたりしていました。その一つは、イエスは落ちているパンくずを、一つ残らず拾うように弟子たちに命じました。これは私たちにとって大切なメッセージであります。・・・・・・・

北欧の国々では、倹約ということを、昔は今よりも重んじていたようです。昔の人は「かけらでも、やはりパンに違いない」と言っていました。床に落ちた食物は、どんなにわずかなものでも大切に取り扱いました。「神の与え給うもの」を踏みつけるといけないからです。すぐにかがんで拾い上げたものです。・・・・・・

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今日のみ言葉は、神は何一つ無駄にはなさらないことを、私たちに教えています。このことを私たちがはっきりつかむことが出来れば、私たちは節約を霊的奉仕の一部とみなすようになるでしょう。節約と貪欲との両者の間には、難解な点があります。貪欲な人は、ただ、自分のために節約しているにすぎないのだと、言い訳することが時々あります。そうかと思うと、倹約している人が、欲張りだと非難されることもあります。・・・・・

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節約と貪欲の違いは、一体なんでしょうか。それは、貪欲な人は何でも自分の為に倹約し、節約家は他の人に与えるために倹約するという点にあります。足ることを知っている人は、人に与えることを惜しんだり、自分の為に働いてくれる者に賃金を払うことをケチケチしたりはいたしません。否、むしろ自分自身の要求を満たすことを、控えめににして、最小限度まで引き下げ、家族の者にもこれを実行させるよう努力します。・・

節約を実行しようという意志と力をもって実社会に踏みだしていく青年こそは、真に心豊かな幸福な若人であります。私たちの国が、このような青年を、切実に求めた時代があったでしょうか。特に神のために節約を志す青年を。(O/ハレスピー著みことばの糧:より)

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11月17日(水):鬼軍曹

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晴美さんから手紙がきた。先日、こちらへ来てこれからのことを話し合った。以前から献身の希望を持っていたが、母教会では、色よい返事がもらえず、恩寵教会へ行きたいという話になっていた。晴美さんがこちらへ来るのは異存がない。概ね、向こうの教会の牧師と話はついていた。それで、牧師が来てよろしく頼むと、というところまで話は煮詰まっていたのだが、いざ、本人が来て話を聞くと、「即、献身者扱い、待遇をしてもらいたい様子だったので」少しカツを入れてやった。「下働きからだ」そして「自立した生活ができるように、2,3時間は働け」と言い渡した。帰りは、泣きべそをかきながら帰っていった。その後、どうしているのかなと心配していたが、今日の手紙では、「自分の考えが甘かった」と言うふうに悟った様子なので、一安心。手先の器用な娘で刺繍などが得意で度々作品をいただいている。そんなのを作って道の駅などで販売してみたいなどと、書いてあった。私も同じことを考えていた。特技を生かして何かしらの収入を得られればそれに越したことはない。この前はかなり厳しいことを言ったので、ペチャンコになっているかと思っていたが、立ち直りの早いのも、素直な性格だからだろう。本当は、彼女の稼ぐ金などどうでもいいのだが、自ら働いて生活の糧を得るということは献身をする者にとって大切なことだ。「私は、十年余牧師をしているが謝礼は一円たりともいただいたことがない。すべて自給伝道でやってきたあなたにそうしろとは言わないが、その気持ちだけは忘れないように」と伝えた。・・・・・・・

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献身者の肝に銘ずべきことを自分なりに定義づけている。「3×3の法則」

《牧師が一つ誤りを犯すと、信徒は三つ誤る。牧師が三つ善行を行えば、信徒が一つ真似をする》何かパスカルの断章みたいな言葉だが、肝に銘ずる言葉として、自らを律している。今日の手紙を見る限り、見込みはありそうだ。そんなことで、今日は彼女が来た時使えるように、冷蔵庫、レンジ、ストーブ、書棚等を正男じっちゃんの家から運んでおいた。鬼軍曹は部下の霊的命を守るため、厳しい。

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