イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月26日(日):あ、ぁ 洞爺丸

 

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1954年(昭和29年)9月26日。青森と函館を結ぶ青函連絡船の洞爺丸が台風15号の影響で沈没し、日本の海難事故史上で最悪となるおよそ1100人もの死者、行方不明者が出てしまいました。・・・・・・

その日の午後、洞爺丸は台風の影響で運行を見合わせていましたが、夕方以降、天候の回復を見込まれたことから、函館駅から青森に向けて出港しました。しかし、洞爺丸は、ほどなくして猛烈な風、波浪に襲われてしまいます。航行を断念して函館付近で投錨し、天候の回復を待つことにしましたが、船内への浸水が発生し、航行不能に陥ってしまいます。そこで洞爺丸は、沈没を避けるため、函館にほど近い七重浜へ意図的に座礁することを試みますが、残念ながらその計画は実現できず、洞爺丸は沈没。1100名もの死者、行方不明者を出してしまいました。

この台風15号によって、青函連絡船は洞爺丸を含む5隻が沈没。壊滅的な損害を受けてしまいます。後にこの15号台風は「洞爺丸台風」と呼ばれ、この悲惨な事故は「国鉄戦後五大事故」に数えられます。そしてこの事故をきっかけに、本州と北海道を結ぶ青函トンネルがつくられるきっかけとなりました。・・・・2021年9月26日:YAHOO!ニュースより)

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当時の逸話として、海に投げ出された人の中に、ある宣教師が一名いました。彼は救命胴衣を身に着けていましたが、見ると、近くに救命胴衣を着けず溺れそうになっている、女性を見つけました。その宣教師は、自分の救命胴衣を彼女に着せて、こう言い聞かせました「さぁ、この救命胴衣をつけなさい。私は泳げるから大丈夫、そして、助かったら教会はへ行きなさい」・・・・・・

その女性は助かりました。しかし、生存者の中に、外人宣教師の名前はありませんでした。・・

これが実話か、どうか今となって確かめるすべはありませんが、事故後この「美談」が世上を賑わしておりました。まだ、幼かった私もこの話には感動したものでした。今日は、9月26日、67年前の今日の日でした。

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洞爺丸

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