イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

2月1日(月):今日は一日 ぶら ぶら

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隣の家の庭に毎年クロッカスが咲く、案外弱い花。

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今朝友達から16歳になるワンちゃんの写真が送られてきた。こんな感じ。

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マルと走る山道はこんな感じ、奴も暇をもてあましている。

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隣の家の庭に毎年クロッカスが咲く。案外弱い花。

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御言葉を読むのにも、心のこもらない日もある。信徒さんに内緒・・・

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孤独とは多くの人に囲まれているとき余計に強く感じることがある

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今朝出がけに奇妙な光景を見た。家の前に雀たちが来ていた。小雀らしかった。名古屋の三菱重工の塀の傍に随分痩せた雀たちを見た。

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昔、落下傘部隊に入りたくて志願したが、却下された。それが良かったか、どうなのかわからない。

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羊と似ているところは目が良くないこと、似てないところは素直でないこと。

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FBのお友達が、ショパンを弾いて贈ってくれた。時々聞いている。今月は新しいのを弾いてくれるそうだ。

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竹内先生からお手紙があった。後でゆっくり、返事を書きたいと思っている。今日は無理だ。

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今日買い物に出かけた。コロナもどこ吹く風。みんな気楽なように見えた。

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山林を少し持っている。杉を切らせてくれと言ってきたが、半分は残せと言ってある。いずれこんな山小屋を建てようかな。

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今日はこんな調子。明日から「ニムロデの野望」を書く。ガウデイの対極にある。これも資料を紛失して新たに書き直す。

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まぁ、おつかれネ・・おねーちゃんの顔見てほっとした・・ハイおやすみ・・

 

1月31日(日):あとの者が先になり Ⅱ

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昨日「あとの者が先になり」というイエスの言葉の解説を、バークレーの書物から引用して書いた。そして、今朝、朝のデボウーションで、開いた箇所が、奇しくも同じみ言葉だった。朝毎に聖書を読み、今年は1月12日より、榎本保朗師の新約の方を読み始めていたのだが、マタイ20章のイエスの譬え話のところだった。読みながら、同じ聖書の個所でも人によって、それぞれ受け止め方が違いものだなと、改めて感じた。それで、榎本先生の書かれたものを、要約だが載せて見ることにした。・・・・・

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・・・・・・あとの者は先になり・・・・・・

『16節までは葡萄園の譬えである。これを読んでいて、何か割り切れないもの、一つの矛盾を感じるのではないか。それは、最後の者も一デナリを受けたということではなく、最後の者から支払いがなされたということである。同じ賃金を払うのであれば、朝早くから来て働いた人から払うのが順序ではないかと思う。あとから来た人から支払ったのは何故なのか、そのことを考えるとき、この話の示しているものを知ることができる。・・

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私たちはいつも、自分が最後に来た者であることを忘れやすい。自分がそういう小さな者であって、いちばん後に来た者なのに、大きい者や、一番はじめに来た者のように思いやすいのだ。この小さい者を愛して下さる神がおられることは大きな喜びである。神の前には誰よりも小さい者であると思う者が、一番大きな恵みに与ることができるのだから。・・・・・

自分のみじめさ、小ささ、弱さというものを神の前にきづかず、自分は正しい者、立派な者であるという風にしか思えない人は、福音の喜びを味わうことが出来ないのではないか。天国においては、自分が小さい者、弱い者であることを知る事こそが何よりも大事である。そのように思えるとき、この譬えは矛盾ではなく喜びとして、福音として伝わてくるのだ。』

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      ☆        ☆         ☆

エスの譬え話は、マタイ、マルコ、ルカ、の各福音において、36の話が記録されている。実によくイエスは、いろいろなことを譬えで話された。その話は、聖書を読む者にとってはもちろんだが、聞き手ににとっても、フム、フム、と納得し得るものであった。内容は具体的で、たとえ当時の女、子供でも分かるものが多かったようである。ある意味で、それは小さな童話にさえ聞き取れることがある。ただ、しかし、その意味するところは、反面、鋭い真理が含まれていることも見逃せない・・・・・

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もう一つ、譬え話の中に、非常に重要な事柄を読み説くことができる。それは誰が指摘していたのかは、随分昔に読んだ本から、学んだ事であるが。我々は、福音書の中からは、イエス様の33年の生涯のほんの少ししか知らない。誕生にかかわる事。12歳での少年イエス。公生涯での3年間。

では、これ以外の、「時」にイエスは何をしておられたのか。福音書にはその記録がない。しかし、記録されていないイエスの姿を発見した人がいた。それが誰であったか、思い出せない。その人はその著書の中で、こう書いていた「イエスの話された譬え話の中にイエスがいる」と。・・・・

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目からウロコとはまさにこの事だろうと思った。イエスの語られた譬え話を注意深く読んでいくと、そこに佇んでおられるイエスのお姿と、御目のあることに気付かされるのです。葡萄畑に出かける労働者の列を、取り残されていた、貧しく不器用な男を、また、銀貨を一枚失くした女は、ひょっとしたら、イエスの隣のおばさんだったかも知れない、あるいは一緒に探してあげたのかも知れない。想像の翼を広げると、さまざまな譬え話の傍にイエスが見え隠れしてきそうな気がします。

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今日は、少ない人数の礼拝になった。高沢先生ご夫妻は、所用、美さんは、介護福祉士の国家試験で、秋田へ、年に一度の試験なので、是非受かってほしい。柳ご夫妻は、吹雪で車を動かせないと☎があった。残念と思っていたら、晴れ間が見えたので、走って来たと10分遅れで着いた。いつもいつも励まされる。・・・・

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今年の恩寵教会の主題聖句は:あなたの宝のあるところに、あなたの心もある・・・自分にとって何が一番大切なことなのか、それを祈り、考えていければいいのだが。

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今朝はひどい吹雪だったの?・・この季節は、20キロくらい離れると天候が違う・・あたし寒いの嫌い・・明日から妹を登場させるか!

 

1月30日(土):あとの者が先になる

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「マタイ福音書19章1節~16節」・・『このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです』

このたとえばなしはつくり話のように聞こえるが、事実はその反対で、このようなことはパレスチナではある時期にはよくあったことである。パレスチナでは、葡萄が熟すのが九月で、その後すぐに雨期がきた。雨が降る前に葡萄を取り入れないと、葡萄は腐ってしまう。そこで一刻を争う収穫期には人手が必要で、一日に一時間しか働けない人でも歓迎されたのである。市場に立っている人は怠けて時間を浪費しているわけではない。5時までそこにいたとあるのは、どんなに真剣に真剣に仕事を求めていたかをあらわしている。

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この人たちは日雇い労働者で、労働者の中でも一番低い階級に属していた。生活は極めて不安定であった。奴隷や使用人ならば、

主人がおり普通の場合飢える心配はない。しかし、日雇い労働者の場合、それとは事情が違っていた。彼らの賃金は安く、貯金する余裕などない。一日仕事にありつけなければ、家にいる子供に食べさせることの出来ない状態であった。こういう人たちにとって、一日の失業は悲劇であった。

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ある人はこの譬え話を、最も偉大な、また最も光輝ある譬え話の一つ。と呼んでいる。この話は最初語られたとき、聞くものにある程度限定された教訓を与えたが、ここには、キリスト教信仰の中心ともいうべき真理が含まれている。そこでまず、限定された意味を見ていくと。これは弟子たちへの警告であるということである。イエスは多分弟子たちにこう語られたのではないだろうか。『あなた方は非常に早い時期に、最初から、キリスト教会とその交わりの中に入る特権を与えられた。しかし、後になって、他の人たちがこの交わりに入ってくる。あなた方はそのとき、最初からいた者としての特別な名誉や地位を得ようと思ってはならない。すべての人は、交わりに入る時期の早晩にかかわらず、神の前には等しく大切なものである』・・・・・

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長い間教会にいる間に、教会を自分のもののように思い、何でも自分の思い通りにしようとする人たちがいるが、こういう人たちは、教会に新しい人たちが加わったり、新しい年代層の人たちが自分と違った計画や方法を持ち出すと腹を立てる。キリストの教会では、年長者が必ずしも名誉ある者ではない。これはまた、ユダヤ的思考に対する警告でもある。ユダヤ人は、自分たちが神から選ばれた民であることを絶えず意識していた。そこで彼らは異邦人を軽蔑し、憎悪し、異邦人の滅亡を願っていた。異邦人が教会に加わる場合には、劣等人種として取り扱った。「神の前には特別に敬愛を受けた国民は存在しない」と誰かが言ったように、キリスト教には

「支配民族」というものはない。・・・・

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そしてまた、この譬え話には神の慰めがある。神の国に早く入る人も遅れて入る人もいる。感動しやすい青年期、分別盛りの壮年期、また日かげの傾く老年期に信仰に入る者もいる。ラビの言葉にもある「ある者は一時間で神の国に入り、ある者は一生かかってやっと入る」と。黙示録に記されている聖なる都には、十二の門がある。東の門は日の出の方角に向いていて、ここからは楽しい人生の暁に入ってくる人がいる。また、西の門は日没の方向に向いている。ここからは老人が入ってくる。その入る時は異なっても、皆、神の前に尊い人たちである。

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今日は何となく気分がすぐれない。さしたる原因もないのだが、憂鬱な空気が漂っている。犬のまるは敏感に察知して、朝から私のそばを離れない。いつもはソファにふんぞりかえっているのだが、足元に控えている。

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早く春が来るといいわね・・もうすぐだよ・・マルちゃん走りたがっているよ・・もうすぐだよ・・春よ来い、早く来い、歩きはじめてたマルちゃんが、おんもへ出たいと待っている・・

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1月29日(金):サグラダ・ファミリア

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サグラダ・フアミリア 聖家族教会

 サグラダ・ファミリアは、日本においては「聖家族教会」と呼ばれている。スペインカタルーニャ出身の建築家、アントニ・ガゥデイ(1852年~1926年)によって建設が始められた。・・・・・・・

彼は、父ランセスク、母クルネットの5人目の子として生まれたが、次女と長男はそれぞれ幼くして亡くなったため、長女ローザ、次男フランセスクとの三人姉弟として成長した。ガウディ家の先祖は17世紀初頭にフランスからやって来たが、父は銅板加工で鍋や釜を作る銅細工師であり「銅細工師の家」として知られていた。母方もまた銅細工職人の家系に生まれたことが、空間を把握するという、自らの建築家としての素地となったと考えていた。・・・・・・

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幼年時代・・ガウディは6歳になるまでにリウマチにかかり、痛みもひどい時はロバに乗って移動することもあった。病弱だったために、他の子どもたちと同じように遊ぶことは難しかったが、この頃にはクリスマスの飾りのために紙細工で風変わりな家をつくったという逸話がある。また、授業で鳥の翼は飛ぶためにあると説明した教師に対し、鶏は翼を走るために使っていると反論したという話は、幼いガウディが自ら周囲にある物の造形をよく観察していたことを示すエピソードとして知られている。

学生時代・・1873年~1877年の間、彼はバルセロナで建築を学んだ。学校では、歴史、経済、美学、哲学などにも関心を示したほか、友人から建築辞典を借りて熱心に読んでいたとも伝えられている。また、学業と並行していくつかの建築設計事務所で働き、バルセロナの公園の装飾や修道院の装飾にもかかわった。・・・・・・

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建築家ガウディ・・彼の処女作は未完のものも含めると1867年のコロニアだと言われている。この仕事でマタロ協同組合の教師ペピタと知り合った。これが初恋であった。しかし、成婚に至らず、その後一生独身であった。1878年建築士の資格を取得している。当時のバルセロナ建築学校の

校長はガウディについて「彼は狂人なのか天才なのかわからない、時が明らかにするだろう」と語ったと伝えられている。同年、ガウディはパリ万国博覧会に出展する手袋店のためにショーケースをデザインした。この作品を見て、その才能を見初めたのが、繊維会社を経営する富豪エウゼビ・グエイであった。グエイはその後40年に渡ってガウディのパトロンとして支え続けた。その間、多くの仕事を発注し、1883年には、サグラダ・フアミリアの専任建築家に推薦した。・・・・・

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後半生・・ガウディは後半生は熱心なカトリック教徒として過ごした。1914年以降、彼は宗教関連以外の依頼を断り、サグラダ・フアミリァの建設に全精力を注いだ。しかし、親族や友人の相次ぐ死により仕事が進捗せず、さらに、40年も支え続けてくれたパトロンのグエイが死去した。

この頃の不幸の連続がガウディを変えたと言われている。彼は取材を受けたり特に写真を撮られるのを極端に嫌うようになり、ひたすら、サグラダ・フアミリァの作業に集中するようになった。・・・・・

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死・・1926年6月7日、彼はミサに向かう途中、この日眼鏡を家に置き忘れ段差につまずいて転倒、そこに通った路面電車に轢かれた。晩年は身なりに気を使わなかったため、浮浪者と間違われて手当が遅れ、事故の三日目に73歳で息を引き取った。遺体は、サグラダ・フアミリァに埋葬されている。終生独身であった。・・・・・・・

完成間近になったサグラダ・フアミリァ・・・この「聖家族教会」の完成までには、およそ300年かかるだろうとみられていた。しかし、技術革新によって、1883年に始められた建設は、2026年の完成が見込まれており、最終段階にある。もとよりガウディ亡きあと、幾人もの建築家によってこの偉業は受け継がれて来ているのであるが、ここで特筆しなければならないのは、日本人の外尾悦郎氏についてである。彼は、スペイン内乱によって多くのガウディが遺した資料が失われる中で、ガウディの目指したものを追求していった。最も重要な塔の先端の内部の装飾を、委ねられている。彼は、その装飾を見る人々が、「イエスの愛」が分かるように作りたいと語っているという。元々、ガウディは、「聖家族教会」と言われる教会をつくることを目指していたのであり、誰でも、貧しい人々も自由に出入りすることができる開かれた教会を作りたかったのであろう。・・・

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      ☆       ☆        ☆

この稿は、3年ほど前に書いたものを改めて書き直したものである。その原本は失われて、随分、捜したが見当たらない。今回の書き直したものは、かなり不備があり、「ウイキペデア」を焼き直しただけであって、あまり快くないし、内心忸怩(じくじ)たる思いである。・・・・・

以前の資料には、彼が寝ていたベッドの写真があったが、それは、本当に浮浪者が休むような粗末なベッドだった。

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今日は一日何事もなく過ぎた日だった。一日雨模様、寒が過ぎて雨模様とは、温暖化のなせることか。2026年、待ちどおしいけど、それまでこちらの身が持つかな、まぁ、せいぜい身を慎むことにしよう・・・・どうせスペインまでは行けないが、マスコミがきっと報道するだろう。それが見たい。

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ねぇ、ねぇ、スペイン人って、途方もないことを考えるのネ・・うん、ミユがスペイン大好きなんだって・・そう~

 

1月28日(木):シッタールタ 釈迦

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ノーベル文学賞を受賞したドイツの小説家、ヘルマン・ヘッセの小説に、

「シッタールタ」というのがある。釈迦が悟りを得るまでの生涯を描いたものだが、それは西洋人の見た釈迦像であるが、美しい物語である。

釈迦は、紀元前5世紀前後の北インドの人物で、歴史上実在した人物で、仏教の開祖である。シッタールタは王族の子として生まれたが。王子

としての安逸な生活に飽き足らず、また人生の無常や苦を痛感し、人生の真実を追求しようと志して29歳の頃に出家した。その出家を決意させた伝説的逸話が残っている。・・・・・

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四門出遊の故事と言われるもので、ある時、釈迦がカピラブァストウの東門から出るとき、老人に会い、南門より出るとき病人に会い、西門から出るとき、死者に会い、この身には、老いも病も死もある、と生の苦しみを感じた。北門から出た時に一人の沙門に出会い、世俗の苦や汚れを離れた沙門の清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになったという』

以来6年間、難行苦行を重ねて見たものの無意味であることを悟り、苦行を放棄した。釈迦には父が護衛代わりにつけていた5人の沙門がいたが彼が苦行を放棄するとともに彼らは去っていった。35歳のシッタールタは6年の苦行でやつれた体を癒し、村娘スジャータからの布施を受け、体力を回復した彼はピッパラ樹の下に座し、7日間、瞑想に入り、悟りを得た。

彼はその悟りを伝えるべく、布教の旅にでるのであるが、去って行った5人の沙門も釈迦の説法を聞いて、再び行動を共にすることになった。

こうした釈迦の出家から、宣教活動を、マルコ・ポーロが後年こう書き記している。『彼(釈迦)の生き方は清らかさから、もしキリスト教徒であればイエスにかしずく聖人になっていたであろう。あるいはもし、彼がキリスト教徒であったなら、きっと彼は我が主イエス・キリストと並ぶ偉大な聖者となっていたに違いないであろう』と。・・・・・・

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その釈迦はマルコ・ポーロの時代より一世紀も前に、ローマ教会から聖ショサファットという名前で、聖人として加えられていた。マルコはそのことを知っていなかっただけである。・・・・・・・

いうなればシッタールタはキリスト教会にとって、聖人としてその名をとどめている聖者である。ということになるのだが、合点のいかない人々も多いと思う。その原因の大きな要因は、釈迦の教えが、中国に渡った時点で変質してしまったからである。日本への仏教の渡来は、聖徳太子の時代にさかのぼるが、その頃はまだ釈迦の香りがのこっていたようである。しかるに、今の仏教界は、ただの葬儀屋に過ぎない。それもベラボーに金の要る葬儀屋である。何故あれだけの金を要求するのか、・・・・

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小話・・先ごろインドから、シッタールタという人が、日本の仏教界を訪ねて来た。何やら偉いお人らしいとのうわさで、日本の大僧正様たちが、接待にあたった。日本の誇るキンピカの神社仏閣をつぶさに案内して、いろいろお釈迦様の言葉を語ったらしい。そこで、シッタールタが、つぶやいた。

『俺、そんなこと言ってないよ・・・・・』

私たちの聖典は、二千年の歳月を経ても、変わることがなかった。二千年前にパウロの手紙、イエスの福音は、当時の人が読んだように、私たちも同じ思いで読んでいる。これは奇跡という他ない。今の仏教界は、釈迦の教えをすっかり忘れ去っているかのようである。本来は、キリスト教会の聖人であるのに、・・・

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1月28日(木):北帰行

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窓は夜露に濡れて

都すでに遠のく

北へ帰る旅人一人

涙流れてやまず

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夢は空しく消えて

今日も闇をさすらう

遠き想いはかなき希望(のぞみ)

恩愛 我を去りぬ

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今は黙して行かん

なにを又語るべき

さらば祖国愛しき人よ

明日はいずこの町か

明日はいずこの町か

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内山先生、うちみのさん、従来通りメールで・・祈っています。

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FB撤退丁度ひと月・・そうね、あなたはそれがお似合い・・そうだね、もっと本を読むよ。・・でも時々覗くんでしょ‥うんうん、投稿の点検があるからね。

https://utaten/com/lyric/yk15101576

1月27日(水):患者の詩

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大事をなそうとして

力を与えてほしいと神に求めたのに

慎み深く従順であるようにと

弱さを授かった

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より偉大なことができるように

健康を求めたのに

より良きことができるようにと

病床を与えられた

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幸せになろうとして

富を求めたのに

賢明であるようにと

貧困を授かった

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世の称賛を得ようとして

権力を求めたのに

神の前にひざまずくようにと

弱さを授かった

f:id:dotadotayocchan:20200920174617j:plain人生を享楽しようと

あらゆるものを求めたのに

あらゆることを喜べるようにと

生命を授かった

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求めたものは一つとして与えられなかったが

願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわない者であるにもかかわらず

心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ

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ニューヨーク大学リハビリセンターの壁に書かれた患者の詩】