イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

5月10日(金):老人と三人の若者

以前、ラ・フォンテーヌの寓話、老人と三人の若者と言う、寓話を載せた事がある。一人の老人が自分の土地に若木を植えた話である。三人の若者がやって来て、その老人を揶揄した。「爺さん、もうろくしたんじゃない?。その歳になって木を植えるなんて、その木の果実が実を結ぶまで、何年かかると思っているんですか、そんなことは私たち若者に任せておいて、年寄りは過去の日々の懺悔でもして暮らしなさい、木を植えるなんぞ私たち若者に任せておきなさい」などと、言った。老人は言った。「そんなこともあるまい、運命の女神は残酷だ、誰がこの木の果実を口にできるか、知るものはいない」。老人の言葉は正しかった。若者の一人は、アメリカへわたる途中に船から落ちて死んだ。もう一人は、柿の木から落ちて死に、残る一人は、戦争で流れ弾に当たって死んだ。老人は三人の墓の前で言った。「前に言った通りだろう、運命の女神は、気まぐれなのだと・・・・」。とまぁ、こんな風の寓話だった。・・・・・・・

さて、この老人も先日、隣の敷地に三本の桜の木を植えた。植えながらこの、寓話を思い出しながら、一人、ほくそ笑んでいる。さて、この桜の木が、満開になって私を楽しませてくれるのは何年後だろうかと。昔、父が家の後ろに桜を植えていた。それが、30年も経つと、毎年、奥の座敷から花見ができた。確かに見事な桜だった。その桜も、10年ほど前、病気になって切り倒してしまったが、懐かしい父の思い出の桜であった。今度は自分が植える番だと思い、今回、そうしたのだが、どこまで見られるかわからない。後に続く者たちがいれば、20年後くらいに、「前に住んでた爺さんが植えた桜が満開だよ。」と若者や、孫たちが、思い出してくれるだろうかな?・・・・・