人間五十年 下天の内をくらぶれば
夢幻の如くなり ひとたび生を得て
滅せざる者 あるべきか
テレビで訃報を聞くことが多くなった。著名人や芸能人である。ここ半年、一年特別多くの人が鬼籍に入ったわけではあるまいが、そう感じるのは、戦後同じ時代を生きてきたと思える人たちの名前があるからであろう。もう自分もそんな年齢にあるということなのだろう。・・・・・・・
・・・人間五十年下天の内にくらぶれば・・・
平家物語の書き出しはこうである。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久からず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もつひには滅びぬ
ひとえに風の前の塵に同じ
源氏の武者、熊谷直実が平敦盛と一騎打ちをして、その首を取ってみたものの、その平家の公達(きんだち・上流貴族の子弟)は、余りにも幼かった。笛の名手として知られてはいたが、わずか16歳の少年であった。戦の常であるにしても、直実は、年端もいかない少年を殺めたことへの自責の念と、この世の無常観から、武士を辞め、出家し蓮生と号し諸国を旅した
京の都において、「平家にあらずんば人にあらず」とまで言われたそのたけき者たちも結局風に吹き飛ばされる「ちり」のようなものであった。
聖書の記す人の寿命はこうである。
☆アダムは全部で930年生きた。こうして彼は死んだ。
☆ノアの一生は950年であった。こうして彼は死んだ。
アダムもノアも風に吹かれて塵に帰った。栄華を誇った平家の公達も一陣の風とともに去っていった。・・・・・・・
琵琶法師が奏でる琵琶の響きと、祇園精舎の鐘の音は、私たちに何を語り、何を諭そうというのだろうか。