
パウロ自身生粋のユダヤ人でありながら、なぜ異邦人に割礼を要求しなかったのか、その理由は、彼の信仰に基づいている。それは回心において突然開けた道であった、人が義とされるのは律法の行いによらず、ただ、キリスト・イエスを信じる信仰よる(ガラテヤ2:21。)。パウロはイエスが義人のためではなく、まさに罪人の救いのために来た事、そして十字架に架かり復活したことをのみを繰り返し説いている(Ⅰコリント1:13,2:2,15:3以下)このような信仰はもはやユダヤ教徒のものではなく、キリスト教徒のものである。その信仰と神学によって、キリスト教はユダヤ教的性格から完全に脱皮し、世界的宗教としての基礎を得ることになった。(教会史。上。茂泉昭男著)。学院大はミッションスクールでその当時でさえ80年の歴史を持っていた。経済学専攻であったが、1,2年は、キリスト教学、歴史が必修科目であった。い茂泉教授は、高校で言えば担任にあたる先生であった。以来「教会史」のテキストは、未だに我が書棚にある。・・・・・・・
午前中、1時間くらいだが、ビクター兄と奥さんが来て、草刈をしてくれた。歳の差には勝てない。私が半日以上かかる広さの土地の草刈を、仕上げてしまった、わが身のふがいなさを覚えると共に。感謝。感謝。畑の方も今のところ順調だ、時折、根切り虫がせっかく植えた、野菜の根を、切っていく、が、どうも防ぎようがない。
