イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月16日(金):島崎藤村の初恋

 


             一

まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり

 

               ニ

やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅の秋の実に

人こひ初めしはじめなり

 

    三

わがこころなきためいきの

その髪の毛にかかるとき

楽しき恋の盃を

君がなさけに酌みしかな

 

    四

林檎畑の樹の下に

おのずからなる細道は

誰が踏み初めしかたみぞと

問ひたもふこそこいしけれ

 

中学か高校の教科書に島崎藤村の詩が載っていた。それらのいくつかを暗唱していたが、後で気づいたことだが、教科書には、(三)の部分がすっぽり抜け落ちているのに気づいた。何故かなと、よくよく読んでみると、「わがこころなきためいきの・・・」で始まるこの章句は、雅歌的であり、学校の教科書に載せるには不向きだったのだろう。誰かが、この詩は、題こそ「初恋」となっているが、内容的には大人の「恋」が詠まれているようだと解説していた。なるほど、と思ったものだが、そう言えば、藤村は若い頃キリスト教の洗礼を受けている。彼がこの詩をつくる時、その脳裏に、エデンのの物語が想起されていなかっただろうか。この詩は、読めば読むほど、アダムとエバ恋物語を彷彿させられる。