一
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
ニ
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
三
わがこころなきためいきの
その髪の毛にかかるとき
楽しき恋の盃を
君がなさけに酌みしかな
四
林檎畑の樹の下に
おのずからなる細道は
誰が踏み初めしかたみぞと
問ひたもふこそこいしけれ
中学か高校の教科書に島崎藤村の詩が載っていた。それらのいくつかを暗唱していたが、後で気づいたことだが、教科書には、(三)の部分がすっぽり抜け落ちているのに気づいた。何故かなと、よくよく読んでみると、「わがこころなきためいきの・・・」で始まるこの章句は、雅歌的であり、学校の教科書に載せるには不向きだったのだろう。誰かが、この詩は、題こそ「初恋」となっているが、内容的には大人の「恋」が詠まれているようだと解説していた。なるほど、と思ったものだが、そう言えば、藤村は若い頃キリスト教の洗礼を受けている。彼がこの詩をつくる時、その脳裏に、エデンのの物語が想起されていなかっただろうか。この詩は、読めば読むほど、アダムとエバの恋物語を彷彿させられる。