イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

5月25日(月):林・檎・の・木

  ・・・・・・・島崎藤村の初恋・・・・・・・

まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅の秋の実に

人こひ初めしはじめなり

わがこころなきためいきの

その髪の毛にかかるとき

たのしき恋の盃を

君が情けに酌みしかな

林檎畑の樹の下に

おのずからなる細道は

誰が踏み初めしかたみぞと

問ひたまふこそこひしけれ 

     ☆        ☆         ☆

f:id:dotadotayocchan:20200525160546j:plain

昔、働いていた職場に、九州から来ている人たちがいて、彼らは林檎の木に実がなっている光景が見たいと言った。そう~

お出でよ、案内してあげる。と答えたのを記憶しているが、もう50年以上も昔の話だがその約束は果たされていない。でも、あの九州の人達はとっくに林檎の樹を見たことだろう。

 

・・・・この世の中で最も美しいものは何か?。私の見た限り、秋の日を浴びてたわわに実をつけている林檎の樹であった。その美しさはたとえようがなかった。

  ・・・・・エデンの園の中央にある樹・・・・・

f:id:dotadotayocchan:20200325183806j:plain

女・エバがその木を見ると、「その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするという木はいかにも好ましかった」・・・・・・

私は、その木をエデンではなく、青森県黒石市のリンゴ畑でみ見たが、その時、思った。狡猾なものにそそのかされたとはいえ、女エバががおもわず手をのばしてその実を取って食べ、男、アダムも食べた。エデンの園の実はそれほど麗しかったのであろう。・・・・・・・・・

f:id:dotadotayocchan:20200521132313j:plain

この藤村の初恋という詩は、学校の教科書にも載っていた。(ただし、三はカットされていた。)それを今に至るまで、暗唱していたのだが、学校では、三の章句は教えてくれなかった。どこか雅歌的であり、誰かがこれは大人の恋物語だと、解説していた。藤村は若い頃、キリスト教の洗礼を受けており、この詩を作るとき、彼の脳裏の中にエデンの物語が想起されていなかっただろうか。この詩は読めば読むほど、アダムとエバ恋物語が浮かんでくる。・・・・・・ 

f:id:dotadotayocchan:20200516151650j:plain

f:id:dotadotayocchan:20200525085810j:plain