イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月11日(水):イエスとユダの顔

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最後の晩餐の絵を描いていた一人の画家の経験について、おそろしい話がある。それは偉大な絵であり、それを描くのに何年もかかった。彼はキリストの顔を描くのに、モデルを探しに行った。非凡な美しさと純粋さを秘めた顔の若者を発見し、彼をイエスとして描いた。次第に、絵は描かれていき、次から次へと弟子たちが描かれていった。いよいよユダのモデルが必要な日がきた。彼は町の貧民街や悪に汚れた部屋を探し回った。そして遂に彼は、非常に堕落し悪意に満ちた顔をした男を見つけた。そしてその男をユダの顔のモデルにするために連れてきた。描き終わると、その男は画家に言った。「お前はたしか、前に俺を描いたことがあったよ」と言った。「そんなことがあるはずがないよ」と画家は言った。「いや、ほんとなんだ」とその男は言い続けた。「前にお前が俺を描いた時には、たしか俺はキリストだったぜ」・・・・・・

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歳月はおそるべき堕落をもたらしたのだ。人生には、いつもおそろしい危険がある。歳月は残酷になり得る。歳月は私たちの理想、熱意、夢、忠誠を取り去ることができる。歳月は、私たちに、だんだん大きくではなく、だんだん小さくなってしまう人生を残していくのである。歳月が過ぎ、私たちの心がキリストの愛によって広げられる代わりに、ひからびてしまうのである。人生においては、かつては美しかったものが失われてしまうことがある。神よ、このようなことから、我らを救いだしたまえ・・・・

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昔、こんな話を読んだことがある。最後の晩餐をの絵を、ローマ教皇から描くように頼まれていた、レオナルド・ダビンチがなかなかその絵を完成させないので、時の教皇が、早く仕上げるように苦情を言ったら、彼はそんなに急がせるんだったら、ユダの顔をあなたに似せて描くぞと、やり返したと言う逸話が伝わっている。この人も、キリストの顔とユダの顔を描くのに難儀をしたのだろう。絵の素養のないものであるが、何となく判るような気のする話である。

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昨日から、ちえこが焼肉を食べたい、焼き肉を食べたいとハナをならしていた。10日ばかり前からおなかをこわし、おかゆだけだったのだが、治ったら俄然食欲が出てきたらしい。私はダイエット中、本当は行きたくなかったが、出かけてきた。あれ、聖書のアダムとエバの話って本当だなとつくづく思った。ツキさんとチカちゃんのところへも寄って来た。二人とも特段変わった様子もなくて安堵した。姉さんの方が余計心配なのだが、委ねよう・・・・

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