イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月14日(日):父の銀時計

『最近歳をとったせいか、やたらと昔のことを思い出してしまう。そうかな?』と言うと、『そうだ』と妻が言う。聞かなければよかった。そんな会話をしながら、また、ふっと、昔のことを思い出してしまった。私の父は農家の次男坊で、自立しなければならなかった。そこで、「養蚕学校」へ入り養蚕の指導員になった。戦前のことで養蚕の盛んな時期でもあった。この地方では特に養蚕が盛んで、農家の副業として多くの農家で蚕(かいこ)を飼っていた。・・・・さて、その父の「繰り言」は養蚕学校卒業時に、主席総代になれなかったことである、しかも、総合点で一点差という僅差で、県知事から贈られる、金時計、をのがし、銀時計に甘んじたことである。その数十年前の出来事を、あぁ~、何度聞かされたことか・・・・いつしか私の堪忍袋の緒が切れた。『親父、その話は何度も聞いたよ、いい加減にしてくれ』。以来、父は昔の話しはしなくなった。アメリカで、ナイロンが発明されるまで生糸は日本の主要産業であった。父の羽振りもよく、普通の勤め人の数倍の収入があり、大半は酒に消え、我が家は貧乏暮らし。それにしても、随分酷いことを言ったな、と悔やまれる、やはり人はその年齢にならなければ分からないことがあるのをつくづく思い知られた。三浦綾子のご主人が、「天国へ行ったら、綾子に謝らなければならない事がある」とどこかで語っていたが、父は、洗礼を受けて召された。さて、さて、私も昔の失言を父に謝らねばなるまい。