イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月2日(月):冬の夜

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燈火ちかく衣縫う母は

春の遊びの楽しさ語る

居並ぶ子どもは指を折りつつ

日数をかぞえて 喜び勇む

囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪

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囲炉裏のはたに縄なう父は

過ぎしいくさの手柄を語る

居並ぶ子どもは眠さを忘れ

耳を傾け こぶしを握る

囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪

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おそらく60年以上前に聞いた唱歌であろう。その歌の何節かを、最近思い出した。この歌には、その時代の東北の田舎の原風景がある。・・・・

今は勿論、囲炉裏のある家は殆どないけれど、昔は我が家にもあった。そして、歌われている情景がそのままあった。

今年の冬は昔にかえって、薪ストーブで暖を取ることにし、この2週間ばかり薪運びをやっていたが、今日ですべて終えた。ストーブの火は、トロトロとはいかないが、ボッ、ボッ、と燃える。楽しい冬になりそうだ。

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11月1日(月):井上薫牧師講演会

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昨日、ほぼ6年ぶりで井上牧師の講演会をもたせていただいた。いつもご夫妻で来られる。主題は、『生きるって素晴らしい』。講演の内容や、様子など後日詳しく書くことにするが、とりあえず、仲の良いご夫婦と、いつ見ても美しい、奥さまの写真をご覧あれ。歯医者さんの娘さんで何不自由なく暮らしていたのに、回心し洗礼を受けていたとは言え、元ヤクザとの結婚は、家族全員に反対され、半ば勘当同然で結婚した。・・・・

父親が亡くなる前に最後の言葉として娘にこう言ったという。

『薫君は、ほんとうは心が綺麗だったから、ヤクザになったんだよね』

今回初めて聞いた証しだったが、とても考えさせられたことばだった。

普通は逆の感じをするものだが、ひろこ奥さんのお父さんは、薫先生の純なところを見つけたんだね。

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10月31日(日):神に近づこうではないか

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宗教とは何かという定義は一様ではない。テニソンは「神は種々の方法で自己を実現する」。と言った。ジョージ・ラッセルは「星に達しようとする人が多いように、星に至る道もさまざまである」と言った。「神は一つ一つの心に届く秘密の階段を持っている」という諺がある。大別して、宗教という概念には四種類あるということができる。

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Ⅰ・・神との霊的な交わり

ある人たちはキリストとの深い一体感を体験し、自分はキリストの中に生きていると言う。これはパウロの体験である。パウロにとって宗教とは、神との神秘的な結合である。

Ⅱ・・生活の規準、およびその規準に到達する力

宗教は正しい生活をするための掟であると同時に、その掟を守る力の源泉である。これは大体において、ヤコブ、ペテロの宗教観であると言えよう。この場合の宗教観とは、どのような生活をすべきかを人々に指し示すと同時に、その理想を実現する力である。

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Ⅲ・・理性に最高の満足を与えるもの

人の心は神に憩いを見いだすまで探究を続ける。「検討されない人生は生きる価値がない」とはプラトンのことばである。ある人たちはあくまでも理性の満足を求め、理解できない生き方をするよりは死ぬ方がましであると考える。これはヨハネの宗教観であると言えよう。ヨハネ福音書の第一章は、理性に対して宗教を解明した世界最大の文書である、と言うことができる。

Ⅳ・・神に近づく道

宗教は神と人との間に介在する障害と疎外感とを取り除き、生ける神のみ座に通じる道を開き、友を神に近づかせる。これはへブル人への手紙に表れた宗教観である。この書の著者は、神への道を開く方はキリストご自身であるという。今まで閉ざされていた扉が、イエスのみわざによって開かれた。この宗教観はへブル人への手紙10章19~23節に要約されている。

『わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所に入ることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、入って行くことができるのであり、・・・まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか』

もし、へブル人への手紙の著者が一言で使信を述べるとすれば、それは

『神に近づこうではないか』であろう。

f:id:dotadotayocchan:20200321165018j:plain・・・・・・・・・W・バークレー。へブル書序文・・・・・・・・

 

 

10月30日(土):旅人

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旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。(へブル書13章2節)

おそらく、へブル人への手紙を書いた著者の念頭にあったのは、アブラハムとサラのもとに来て子供の誕生を告げた天使のことであろう。(創世記18章以下)。古代社会では、旅人をもてなす親切が尊ばれていた。当時の宿屋と言えば、不潔極まりなく、また売春宿をも兼ねていることが多かった。そうした、実情を踏まえて著者は、このように語っているのであろう。ユダヤ的伝統においても、旅人に一夜の宿を提供することが神に喜ばれることであるとの伝統が根付いていた。その兄弟愛を示す、風習をキリスト教会も受け継いだ。12使徒をはじめ、のちにパウロもまた、福音を宣べ伝えるために、旅人となった。そのようにして、旅人たちによって福音は宣べ伝えられてきたのである。・・・・・・・・

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明日、当教会でご奉仕される、井上薫牧師、巡回伝道者もそうした人たちの一人である。福音の種子を訪問する先々で蒔き、その一粒がやがて教会となって行く。その働きはけして小さくはない。今の私たちにできる精一杯の準備をしてきた。夕方道順を尋ねる電話があった。部落会長は用事はあるが、早めに切り上げて来てくれると、連絡があった。・・・・・

テーマは、『生きるって素晴らしい』。キリスト者のすばらしい、「生き方を」を語ってくれるだろう。

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10月29日(金):あなたの若い日に

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あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また、「何の喜びもない」という年月が来ない前に。

太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。

その日には、家を守る者は震え、力ある男たちは身をかがめ、粉ひきの女たちは少なくなった仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。

通りのとびらはとざされ、臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる。

彼らは高きところを恐れ、道でおびえる。

アーモンドの花は開き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へ歩いて行き、嘆く者たちが通り歩き回る。

こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車は井戸のそばでこわされる。

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ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。

空の空。伝道者は言う。すべては空。

・・・・伝道の書:12章1節~6節・・・・

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10月28日(木):山笑う

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今日のフェースブックに、知り合いの教会の牧師夫婦と井上薫牧師夫妻の写真が載っていた。なんと、玉川温泉に行っているではないか。今は、紅葉の真っ盛り、背景を見ると見覚えのある、場所である。そもそも、井上牧師の講演を依頼してきたのは、その教会の牧師なのに、こちらが、講演会の準備に走り回っているのに、温泉巡りをしているとは、どこか釈然としない。まぁ、古い付き合いの連中なのだから、大目に見ておくか!!!

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写真の背景を見ると、紅葉真っ盛り。場所は、多分専用道の入り口付近、深い渓谷があってその向こうに紅葉の山並みが連なっている。いつだったか。同じような景色を見て、「山笑う」と感じたものだった。この言葉は前から知っていたが、実際山を見て、「あぁ、山が笑っている」と感じたものだった。本当に山が笑っているように見えた。

それで、気になってWEB]で「山笑う」を検索してみたら、この語は、俳句では春の季語になっており、山が笑うのは秋ではなく、春の山の草木が一斉に芽吹き、明るい感じなる様子を言うのだそうである。・・・

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『故郷やどちらを見ても山笑う』(子規)との句が載っていた。

たとえ、子規の故郷の山が春に笑ったとしても、私にとっては、山が笑うのは秋に違いないと思っている。春は、新緑の季節で、十和田湖のあのブナの原生林の新緑は、実に素晴らしい。小雨でも降ろうものなら、雨さえも緑の色をまとっているように思える。緑色というのはどうしても、笑いには結びつかないような気がする。さて、そうなると、山が笑うのは春なのか、秋なのか。お山さんに聞いてみるしかあるまい。

それにしても、山が笑うのは、私としては断固として秋だと思っている。確かに、あの八幡平の登山道の入り口で、色づいた山々の峰々が笑ったのだから。

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10月27日(水):お天気おじさん

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エスは言われた『あなたがたは、西に雲が起こるのを見るとすぐに、「にわか雨がくるぞ」と言い、事実そのとおりになります。また南風が吹きだすと、「暑い日になるぞ」と言い、事実そのとおりになります。』

・・・・・・(ルカの福音書12章54~55節)・・・・

朝の祈りを終えると、すぐにその日の予定を話し合う、と言っても大体私が決めてちえ子に申し渡すというのがいつものパターンである。・・・

今日の日程は、特別伝道会の準備も概ね終了したので、先日来休んでいた「薪」運びをすることにした。そこで、祈りの家を出てから、西の空を見上げた。やや、雲が多いが雨にはなるまいと、判断した。そこで、司令官は一人しかいない部下のちえ子に命じた。「8時出発、今日は4往復する、夕方には雨になる。急げ!!!」。

司令官は、あのロシアのバルチック艦隊を撃破した、秋山真之気取りである。「天気晴朗なれど波高し皇国の荒廃はこの一戦にあり、総員奮励努力せよ」という檄文をとばした。・・・・・・・

上手い具合に正男じっちゃんの家に山と積まれている「薪」を予定通り4回運ぶことが出来た。最後に自宅の車庫に着いた途端に雨が降り出した。

「どんなもんだい」と司令官はご満悦。それにしても見事な「薪」の量と、よくこれほど見事に保管していたものだと感心させられた。もう、じっちゃんは自宅へは帰れない。不要になった「薪」を私たちが譲り受けることで話はついている。雪の降る前にこれらを運び込まなければならない。・・・・・・・・

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朝、西の空を見て夕方まで大丈夫(雨にでもなったら、作業は難儀するし、何より「薪」が濡れてしまったら、面倒な事になる。)一件落着と相成った。

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若い頃山登りをしていた。ちょっとした山男であった。登山は、体力勝負だがもっと重要なのは、「天気」を読めることである。空にはいろいろな雲が流れる、その雲が雨をもたらすものか、あるいは嵐の前触れか、その判断ができなければ、山男としては失格である。山の遭難は、大抵天気の読み違えから起こることが多い。

♬ 山男よく聞けよ、娘さんににゃ惚れるなよ。

♬ 娘心はよぉ~、山の天気よ~

 

♬ 娘さんよく聞けよ~ 山男ににゃ惚れるなよ~

♬ 山で吹かれりゃよぉ~ 若後家さんだよ~

 

随分前に、確か岩手の山の中を車で走っていた時、午後のラジオ放送で、

「お天気おじさん」として親しまれていた、倉田厚さんが、回顧談みたいことを話していたのを記憶している。もう、お天気キャスターを辞められてから、ずっと後のことであったが、「自分は、死にたいと思い、死のうとっしたことがある」と言われていた。私はそれを聞いてびっくり仰天した。テレビではいつもニコニコしたお顔だった。そんな人が、そういうことを思ったことがあるなどととても信じられなかった。・・・・・

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「梅一凛一輪ほどのあたたかさ」。いつだったか、誰の句かわからなかったが、お天気おじさんは、この句を出して、気象学者らしい、解説をしていたのを覚えている。「梅の花は、暖かさで咲くのではなく、光の強さによって咲くものだ」と。解説しておられた。この解説には私も「う~ん」とうなってしまった。なるほどそうか。妙に納得したの記憶している。どちらが本当かは分からないが、真実はウメさんに聞くしかあるまい。

お天気おじさんの名言を一つだけ紹介して終わりにしよう。

『やまない雨はない』・・・・・・

もう一つ

『天気予報もあまり正確になると、面白くない』。


晩年は鬱病を患ったことがあると聞いているが、それでもお天気おじさんは、洒脱な人だったのだろう。

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