イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月31日(日):神に近づこうではないか

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宗教とは何かという定義は一様ではない。テニソンは「神は種々の方法で自己を実現する」。と言った。ジョージ・ラッセルは「星に達しようとする人が多いように、星に至る道もさまざまである」と言った。「神は一つ一つの心に届く秘密の階段を持っている」という諺がある。大別して、宗教という概念には四種類あるということができる。

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Ⅰ・・神との霊的な交わり

ある人たちはキリストとの深い一体感を体験し、自分はキリストの中に生きていると言う。これはパウロの体験である。パウロにとって宗教とは、神との神秘的な結合である。

Ⅱ・・生活の規準、およびその規準に到達する力

宗教は正しい生活をするための掟であると同時に、その掟を守る力の源泉である。これは大体において、ヤコブ、ペテロの宗教観であると言えよう。この場合の宗教観とは、どのような生活をすべきかを人々に指し示すと同時に、その理想を実現する力である。

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Ⅲ・・理性に最高の満足を与えるもの

人の心は神に憩いを見いだすまで探究を続ける。「検討されない人生は生きる価値がない」とはプラトンのことばである。ある人たちはあくまでも理性の満足を求め、理解できない生き方をするよりは死ぬ方がましであると考える。これはヨハネの宗教観であると言えよう。ヨハネ福音書の第一章は、理性に対して宗教を解明した世界最大の文書である、と言うことができる。

Ⅳ・・神に近づく道

宗教は神と人との間に介在する障害と疎外感とを取り除き、生ける神のみ座に通じる道を開き、友を神に近づかせる。これはへブル人への手紙に表れた宗教観である。この書の著者は、神への道を開く方はキリストご自身であるという。今まで閉ざされていた扉が、イエスのみわざによって開かれた。この宗教観はへブル人への手紙10章19~23節に要約されている。

『わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所に入ることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、入って行くことができるのであり、・・・まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか』

もし、へブル人への手紙の著者が一言で使信を述べるとすれば、それは

『神に近づこうではないか』であろう。

f:id:dotadotayocchan:20200321165018j:plain・・・・・・・・・W・バークレー。へブル書序文・・・・・・・・