イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月10日(土):はばからず、また妨げられることもなく

『こうして、パウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、そこをたずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた』(使徒の働き:28章30~31節)

最後日に至るまで、パウロパウロのままである。自分の借りた家に満二年の間住んだと述べている。本当は、パウロが自分の費用で生活したという意味である。牢獄の中でさえ彼は誰にも負担をかけなかった。終わりの日に至るまで、パウロは、誰の世話を受けていない。しかも、怠けもしなかった。パウロがピリピの人々へ、コロサイの人々へ、ピレモンへの手紙を書いたのは、この獄中においてであった。・・・・・・

パウロは全く一人ぽっちになることもなかった。ルカとアリスタルコが一緒にいてくれたし、ルカは最後までパウロのもとにとどまった(テモテⅡ4:11)。テモテも度々パウロと一緒に過ごした。(ピリピ1:1.コロサイ1:1.ピレモン:1)エパフロデトもしばらくの間仲間に加わっていた。(ピリピ4:18)。ある時はマルコも一緒であった。(コロサイ4:10)・・・・・・・・

パウロは時間を無駄にはしなかった。パウロはピリピの人々に「わたしの身に起こった事が、むしろ福音の前進に役立つようになった」(ピリピ1:12)と伝えている。そして、特に、獄に捕らわれたために、言いかえれば、パウロの縄目が、キリストのためであることが兵営全体に明らかになった。(コロサイ4:10)・・・・・・・

パウロは自分の借りた家に住んだが、一人の番兵がつけられ、昼も夜も監視されていた。(使徒28:16)この兵営の兵卒たちは、皇帝を警備するために選抜された近衛兵であった。二年の間に、近衛の兵営に属する兵隊が、パウロと昼夜を過ごしたに違いない。パウロがこのような機会を見逃すはずがない。パウロは夜昼過ごす間に、これらの兵卒に語りかけたことであろう。その結果、かれらの多くが見張りの役を終えた時には、心にキリストを受け入れる者になっていたものと思われる。・・・・・・・

(W・バークレー。解説)後半は明日に続く。