イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月10日(日):マルコを連れて来なさい

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『ルカだけは私と共におります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼はわたしの務めに役に立つからからです』(Ⅱテモテ4章11節)

パウロはテモテにこのように伝えている。・・・・・・

マルコは奇妙な複雑な経歴の持ち主であった。彼は教会が創立された頃には、まだ非常に若かった。だが彼は教会生活の中心にいた。ペテロが牢から逃げて向かったのは、マルコの母、マリヤの家であった。従って、マルコはの家は、エルサレム教会の中心的な集会の場所であったと考えられる。パウロバルナバとが第一回の伝道旅行に出発した時に彼らはマルコを伴って出かけた。ヨハネ・マルコが彼の正式の名であった。マルコはパウロの仲間であり、教会の奉仕において立派な経歴を持っていたから指名されたのであろう。そしてある事件が起こった。パウロバルナバがパンフリアを後にして、内陸、小アジアの中央台地に通じる危険で辛い道中で、マルコは二人を残して家に戻ってしまった。彼の神経と勇気は、その危険と苦難に耐えきれず逃げ戻ったのである。・・・・・

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パウロはこの変節を重大視した。バルナバが第二回の伝道旅行に出発する時に、再びマルコを同行させようと計画した(バルナバはマルコの親戚にあたるコロサイ4:10)ところが、パウロはこの逃亡者を再び自分たちと同行させるさせることをきっぱりと拒絶した。その議論は極めて激しく、二人は行動を別にし、我々の知る限りでは再び行動を共にすることはなかった。それ以来パウロはマルコを使う気は全く使う気がなかった時があった。その頃パウロはマルコを優柔不断で裏切者と考えて、彼を自分の仲間に加えることはなかった。・・・・・・

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その後マルコに何が起こったのか、我々には知る由もない。言い伝えによると彼はエジプトに行き、しかもその国のキリスト教会の創立者になったと言われている。しかしながら、マルコが何をしたにしろ、彼は確かに、自分の名誉を取り戻したのだ。パウロが、ローマの獄中からコロサイに手紙を書いた時に、マルコは彼と行動を共にしていた。パウロはマルコを、コロサイの人々に対して紹介して、彼を教会に受け入れるように勧めている。そして、今やその終わりが近づくにつれて、パウロは彼の愛すべきテモテほかに、さらに、マルコに自分の傍にいてもらいたかったのである。彼は、その身の傍に置けば役立つ人物だったからである。マルコはかつては逃亡者であったが、今や、パウロの福音のために仕えて、けして行動を曲げない人間マルコになっていた。・・・・・・

マルコは一度失敗したが、立ち直った人間であった。今日においても、イエス・キリストは臆病な者を勇敢にし、心の弱い人を戦いに向かわせる。彼は眠っている英雄を、あらゆる人間の魂の中に目覚めさせることができる。イエスは失敗の屈辱を勝利の奉仕への喜びに変えることの出来る人である。

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