神の道
自分がこの着物さえも脱いで
乞食のようになって
神の道にしたがわなくてもよいのか
かんがえの末は必ずここへくる
(わがよろこびの頌歌はきえず)より。
編集後記
二十九歳で早世した八木重吉の詩作期間はわずか六年足らずにすぎません。しかし、その作品、詩稿は二千編にものぼるとされます。今回、ここで収められたのはそのうちの百篇ほどで、彼の夥しい作品群の中の一握りと言っていいでしょとうが、それでもこの詩人の神髄に触れていただくことができたのではないかと思います。・・・・・・
彼は草野心平に宛てた手紙の中で、「私は心が澄んでくると、キリストが火の柱のように思われます」と言いました。切ないほど日本的な彼が、文学者として、聖書を内側からとらえ、キリストををかくもあからさまに告白したほとんど最初の日本人であったということに、わたしたちは希望を感じます。・・・・・・・
壮烈な短距離ランナーのような一生からほとばしり出た言葉は、今も人々、人とは何者か、神の前にあなたはどうなのかと、激しく性急に問うてきます。そのメッセージを彼自身が受け止めたように受け止める方々が多く起こされることを願いながら、この一冊を主キリストに捧げます。そして、幾星霜、夫重吉の詩を守り続けたとみ夫人(吉野登美子さん)に心からの感謝をささげます。・・・・・・
1991年九月 「百万人の福音」編集部