種田山頭火:1882年(明治15年)~1940年(昭和15年)。自由律俳句の俳人。俳句の5、7、5、言葉や季語にとらわれず、「俳句」をつくった。俳句などにはとんと興味はなかったのだが、テレビドラマでなんとか照之(名前が思い出せない)という俳優が山頭火の生涯を演じていたの少し見た。よくよく調べてみたら、まぁ、凄まじい生涯をおくっている。・・・・・
元々は、大地主の家に生まれたのだが、父親が芸者遊びなどをして、それがもとで母は11歳の時自殺。その後、父が酒造会社を始めたが、倒産。父と弟はその後自殺。山頭火は家を離れ、仏門に入り、僧となった。雲水姿で、俳句を作りながら西日本を中心に旅を続けた。50歳をにもなると、行乞も出来ず、山口県に草庵を結び、ここで7年過ごし、没す。57歳。
山頭火の俳句
今日の道 たんぽぽ咲いた
夕立や、お地蔵さんも わたしもずぶぬれ
分け入っても 分け入っても 青い山
ほろほろ ほろびゆく わたしの秋
酔うて こほろぎと 寝ていたよ
どうしようもないわたしが歩いてる
ついてくる 犬よおまへも 宿なしか
生死の中 雪ふりしきる
霧島は 雲にかくれて 赤とんぼ
ふるさとは あの山なみの 雪のかがやく
これらの句は、俳句というより、自分の雲水としての行乞の
一行日誌みたいなものに感じる。
八木重吉が「神の道」という詩を書いた。
「自分が
この着物さえぬいで
乞食のようになって
神の道にしたがわなくてよいのか
かんがえの末は必ずここにくる」
重吉はこの願いを叶えられなかったが、山頭火は否応なしにそうした道を辿った。その胸中に去来するものは、我凡人にははかり知れない。しかし、これらの句の中には、何故かほっとするものがある。ただただ、寂しい、哀しいだけでなく、ふふ・・と笑わせてくれる何かがあって、それが、山頭火の句が親しまれる所以になっているのだろう。
今日から4連休とか。自慢じゃないが、私たちは365連休。
GO TO トラベルがトラブルにならない様に気をつけましょう。