イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

7月23日(木):山頭火

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種田山頭火:1882年(明治15年)~1940年(昭和15年)。自由律俳句の俳人。俳句の5、7、5、言葉や季語にとらわれず、「俳句」をつくった。俳句などにはとんと興味はなかったのだが、テレビドラマでなんとか照之(名前が思い出せない)という俳優が山頭火の生涯を演じていたの少し見た。よくよく調べてみたら、まぁ、凄まじい生涯をおくっている。・・・・・

元々は、大地主の家に生まれたのだが、父親が芸者遊びなどをして、それがもとで母は11歳の時自殺。その後、父が酒造会社を始めたが、倒産。父と弟はその後自殺。山頭火は家を離れ、仏門に入り、僧となった。雲水姿で、俳句を作りながら西日本を中心に旅を続けた。50歳をにもなると、行乞も出来ず、山口県に草庵を結び、ここで7年過ごし、没す。57歳。

 

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山頭火の俳句

今日の道 たんぽぽ咲いた

夕立や、お地蔵さんも わたしもずぶぬれ

分け入っても 分け入っても 青い山

ほろほろ ほろびゆく わたしの秋

酔うて こほろぎと 寝ていたよ

どうしようもないわたしが歩いてる

ついてくる 犬よおまへも 宿なしか

生死の中 雪ふりしきる

霧島は 雲にかくれて 赤とんぼ

ふるさとは あの山なみの 雪のかがやく

 

これらの句は、俳句というより、自分の雲水としての行乞の

一行日誌みたいなものに感じる。

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八木重吉が「神の道」という詩を書いた。

「自分が

この着物さえぬいで

乞食のようになって

神の道にしたがわなくてよいのか

かんがえの末は必ずここにくる」

重吉はこの願いを叶えられなかったが、山頭火は否応なしにそうした道を辿った。その胸中に去来するものは、我凡人にははかり知れない。しかし、これらの句の中には、何故かほっとするものがある。ただただ、寂しい、哀しいだけでなく、ふふ・・と笑わせてくれる何かがあって、それが、山頭火の句が親しまれる所以になっているのだろう。

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今日から4連休とか。自慢じゃないが、私たちは365連休。

GO TO トラベルがトラブルにならない様に気をつけましょう。