沈黙のうちに 人は 新たに つくり変えられる
【13章:1~ 7章50~ 19章38~】
パリサイ人でユダヤ人の指導者、教師とされている人である
この人は、イエス様の伝道の比較的初期に、夜、(こっそりと?)訪れたようである。最初はそうであったとしても、後に、彼は勇敢にもイエスを弁護し、アリマタヤのヨセフと共に
主のおからだを取り降ろし、埋葬した人物である。・・・・この3章では、主イエスは、ニコデモと禅問答のようなことをしておられる。イエス様はこのニコデモに対しては実に丁寧に教え、諭しておられる。お叱りの言葉もあるが、一人の人にこれほどのお言葉を語られるのは珍しい。・・・ニコデモはイエス様の行ったしるし(奇跡)を見て訪ねて来たのである。しかし、主はそのことに触れてはおられない。この禅問答もどき会話のなかでニコデモはすぐにはお言葉を理解してはいない。ここから先は、霊的世界である。。【奇跡を見て信じる信仰は不十分で人間のいのちの核心には迫りえない。内的に新しくされてのみ、人は神の国の目的に与る(あずかる)ことが出来る】
(聖書注解書)・・・・
【風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。】(3章8節)この難解な、どことなく東洋的でお釈迦さんの説法じみているお言葉を理解するには「時」が必要なのである。それも、「沈黙の時」である。「夜、・・・暗黒を意味する。ニコデモの心を支配する暗黒の状態、その中で真の光を見出そうとする彼の求道心を暗示する。」とチエーン式バイブルの欄外に注釈が載っているが、ウーンと唸ってしまう。注釈者の気持ちは分かるが、そこまで読み込むのはいかがなものかと、思ってしまう。ただ、ニコデモがその後どう変えられていったか。その判断は私達に委ねられている。
☆☆☆彼は(パウロ)は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。ダマスコに主のお弟子おられ、そのアナニヤに主のお声がかかった。・・・「アナニヤよ」・・・「主よ。ここにおります」・・・【立って、(まっすぐ)という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています・・・・】
主イエスは、幻の中でアナニヤに語られた。幻の中でサウロはアナニヤが来て自分の上に手を置いて、目が見えるようにしてくれるのを見たのである。沈黙と祈りと静寂のうちに聖霊が働かれたのである。アナニヤはサムエルのように祈っていた。サウロは、天に響いたナザレのイエスのみ声を反芻していた。・・・使徒9章・・・