イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

4月5日(日):よき師・よき友・よき書物

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どこぞの旧制高等学校の寮歌にこんなのがあった。間違っていたら許してたもれ・・・

妻をめとらば

才たけて み目麗しく 情けあり

友を選まば 書を読みて

六分の侠気と 四分の熱

前段はともかくとして、友を選ぶならば、よく書物を読み、六分の男気と四分の情熱を秘めている人物であるべし。・・・・

前にもどこかで書いたが、精神科医の工藤 信夫師は地元の出身で、私より一つ年下、彼は進学校にいて、私は悪たれ工業高校に通っていた。その頃、同じ教科書を使っていたらしく、ここ二三年先生の学び会に出ているが、テーマは「よき師 よき

友 よき書物」であった。高校で学んだ事を、今一度工藤先生を通して教えられた。社会に出て成長していくには、この三つの邂逅(出会い)が是非とも必要なのだと教わったものである。・・・・聖書の世界でもそのことは同じである。特によき師(主人)に仕えた人は、よき働きをした。モーセの従者ヌンの子ヨシュア然り(しかり)、エリヤとエリシャ、ヨルダン川のほとり、天に挙げられるエリヤを見上げて「わが父、わが父

イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んで師を見送った。・・・友については、ダビデとサウルの子ヨナタンとの友情物語は世界で最も美しい物語である。それが、悲劇的、運命的であるだけに我々に感動を与える。・・・以前、ちいろば牧師こと榎本保朗牧師のことを話したら、随分古い話ですね、と言われ年甲斐もなくこいつ馬鹿かと思ったことがある。自分の尊敬する師と書物を軽く見られるといきりたつものである。

先生召されて45年余、52歳という若さであった。私などは25年も長く生きている。それでも尚、仰げば尊しという存在である。ある人が、「啄木の悲しき生涯」という本を書いた。啄木は息子ほども年下なのに、その才能には及ばないと書いてあったのが心に残った。天賦の才とはそうしたものだろう。神からの賜物もそうしたものだろう。冒し(おかし)がたいものがある。私が、古人のように千年近く生きたとしても、30余歳のあのお方にはかなうまい。あのお方こそ、よき師 よき友

よき書物である。

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