「祈られていた」という題の後半を書いています。 姉を見舞って二日目、3月も終わりだというのに、その日は朝から滋賀病院の外は、小雪が降っていました。 窓越しに,小雪をじっと見つめていた姉が、外の景色に丁度良い歌がある。 いつも歌っている歌があるというのです。 「これから歌うからノートに書いてよ!」というのです。 そんなに無理して歌わなくてもいいよ、食事らしきものは殆ど食べていないのに無理しないでよ、と言葉に出さなくても心の中で叫んでいました。 でもこれが地上での最後に聞く歌になるかも知れない、涙を抑えながら、「何の歌なの?」・・・
「うん、本当は一番から三番迄全部覚えていたけれど、少し忘れたところもあるかも、違っているかもしれないよ」と気にしながら再度ノートに書いてよと催促した。 私はすぐにノートを取り出して書きはじめた。
1・春は名のみの 風のさむさや
谷のうぐいす 歌はおもえど
ときにあらずと 声もたてず
ときにあらずと 声もたてず
2・氷とけさり・・・・
3・春ときかねば・・・・
私には初めて聞く歌でした。 重病人なのにこんなに声を出して歌っているのが不思議でした。 もしかして再び元気になるかも、そんな思いにさせられました。 歌詞が間違っているかも、としきりに気にしていたのですが、そんなことはどうでもよかった。 姉にはこの地上での時間が少ないような気がしたからです。 ・・・・・・
姉の名前は「さち」である。 自分の名前が嫌いだと親に文句を言っていた。 それがクリスチャンになってからは、とても良い名だと自分でも褒めていた。 ・・・わが身の幸(さち)は皆主にあり・・・その他よく聖歌の中に「幸」という使われているからだと思う。 そして、こんなにたくさん姉と話したことはその時までなかったように思う。 ・・・・・
姉は高校生の頃救われ、その後川村牧師と出会いがあり、高校を卒業後、聖書学校へ進み、結婚して川村牧師に伴い岐阜市に赴任した。 いつも忙しかったのである。 ・・・・・・
楽しかった二日間、そして貴重な時間を神様は、私たちに与えてくださったのでした。 そろそろ、私は秋田へ帰る準備をしていた。 病室を離れる時、最後までわたしから目を離すことなく、じっと見続けていたのでした。 私は病室を出た瞬間、今までこらえていた涙が溢れ、声を出して泣いてしまいました。
平成18年3月30日、ご主人の見守る中で天に召されました。 私たちが秋田へ帰って10日目に再び岐阜に向かいました。 ・・・・
「4月から年金が貰えるんだよ!」 と笑顔で私に語った姿が目に浮かぶ。 あと、一日生きることができたら、一度でも年金をもらえたのに、あんなに楽しみにしていたのに、あの笑顔を想いながら残念でなりませんでした。 今まで、一生懸命神様のために、休む暇などなく忙しく働いて来たのに、これから少しのんびりした時間を与えてくれたらよかったのに。 神様何故ですか。 神様ひどい!。 その悔しさを、ある時、三浦にぶっつけたのでした。 すぐに返事が返って来ました。 「この地上の小さな年金ではなく、あふれる年金、今、神様から大きな(万金)をうけているんだよ」。 その言葉を聞いた時、今まで、神様何故ですか、神様ひどい、。 そん・・な気持ちがその日から消えてしまいました。 涙と共に悔いながら、この地上のことばかり考えている自分が恥ずかしくなりました。 姉は、今もっと素晴らしい、溢れる祝福を受けていることを覚えさせられたのでした。 ・・・・
姉の葬儀の時、愛唱歌、一羽の雀が流れました。
こころくじけて
などて寂しく 空を仰ぐ
主イエスこそ わが真の友・・・
一羽のすずめさえ 主は守りたもう
天国で再び会うことができるのに、頼りにしていた信仰の先輩さちと別れたことは大きな悲しみで一杯でした。 ・・・
私たちが秋田へ帰ると、ほどなくして深瀬牧師が訪ねて来られました。 事情を知り、訪ねてくださったのでした。 寒い中先生の抱えて来られた花籠は、とても私を慰めてくださいました。 神様は何故花をつくられたのか? 。 それは悲しんでいる人を慰めるために!。 その意味を改めて教えられました。 ・・・
それから、一か月くらいして、私の所に一枚のCDが送られてきました。 早速それをかけて流れて来た歌を聞いて、私はその場に立ち尽くしてしまいました。 それは、姉さちが病室でノートに書いてよと催促した歌なのでした。 その歌は早春賦という歌であることが分かりました。 歌詞が違っているかもとしきりに気にしていましたが、やはり、違っていました。 天国からそのことを気にかけて送ったのかなと、単純な私は天国の住所が書かれているのでは?。 と思って、確かめて見た。 何年か前目を悪くした時、それを心配して姉が目に効くという健康食品を勧めてくれたのを、私は続けて飲んでいたのですが、その会社からプレゼントとして贈られて来たものでした。 あまりにも偶然の出来事に説明がつかず、姉が天国から送ったものと信じることにしています。 姉の子供たちが時々遊びに来た時も「天国から届いたものです」と。 答えることにしているのです。