「天国は、ある主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである」マタイ20:1.
この地上における最大の働きは、キリストにによって計画され、キリストによって始められました。キリストの望みは、ただ一つ、すなわち天国を地上に来たらせるということであります。・・・
キリストは、この事を、地上にある神のぶどう園という言葉で言い表しております。人間も、地上で神の園で、生活の第一歩を歩み始めたのでありますが、人間の罪は、地上を茨と、毒麦と、様々な雑草の生い茂る荒地にしてしまいました。そこで、この地上を再び神の園にするためには、荒地は神ご自身の血によって、うるおされなければならなかったのであります。庭園を買うために、自分の血を流さなければならないとなると、それは非常に高価なものとみなさねばなりません。神は、ご自分の園のために、最も高価な土を手に入れようとなさるのです。
その土というのは、罪の故に滅亡のドン底にたたきおとされた人間の心であります。罪によって呪われた人類とこの地上が、キリストの働きによって、再び神の園にされるということは、何と大きな喜びでしょう。キリストは、みのり豊に、栄光輝く神の完全な園としての新しい世界が出現するまでは、決して、その働きを投げ捨てることはなさらないのです。
この地上に神の園があるということ、そして、私たちの小さな生命も、生まれ変わりの礼典をうけてからは、この神のきよい囲いの中に植えられていることを思う時、私たちの心は感謝に満たされるのであります。
第一にありがたいことは、私たちがキリストのみ守りの中にあるということです。キリストは、その木を愛してくださいます。私の生命はどうして茂らずにおられましょうか。
第二にありがたいことは、私が日々、キリストの御支配の中にあるということです。キリストはその木の成長を導いて下さいます。水をかけ、、肥料を施し、刈り込んでくださるのです。
神の園の中で、生涯をおくると言うことはなんと幸いなことでしょうか。私たちは、カルバリの土に植えられた木であります。私たちの心の葉には天国の雨が降り注ぐのです。慈愛の太陽が、温かい光を投げかけてくれるのです。(6月28日聖書日課・O・ハレスビー・みことばの糧)