イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月28日(月):天の御国は Ⅱ

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マタイ20章1節~16節・・・ここに神の寛大さがある。

この譬え話の労働者がした仕事の量は同じではなかったが、同額の賃金を受け取った。ここに二つの教訓がある。

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第一は、「神の前には全ての奉仕が美しい価値を持つ」と言うことである。大切なのは、奉仕の量ではなく奉仕する愛である。豊かな人から何万円という贈り物を受けるのは嬉しいが、一方、子供が誕生日やクリスマスに小さな贈り物をしたとしても、それは子供が愛をもって一生懸命貯めたお金である場合には、その小さな贈り物は金としての価値はなくても人の心を打つ。神は、我々の奉仕の量の多少にかかわらず、いつも喜んで受け入れられる。

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第二の教訓はさらに偉大である。それは、神があたえられるものは恵みあるということである。我々が神から受けるものは自分で働いて得たものではない。我々は受ける資格を持たず、神に恩恵を施すことは出来ない。神が我々に与えられるのは、神の善、神の恵みからでたものである。神が与えられるのは賃金ではなくて贈り物である。報酬ではなくて恩寵である。この譬え話の最高の教訓は、労働の価値は労働する精神によって定められると言うことである。(W・バークレー

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