イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月19日(土):イエスの譬え話(99匹の羊)

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『あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持ってい、」そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九、匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです』(マタイ:18章12~14節)

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これは道に迷った羊とそれを探し求める羊飼いの短い話です。ユダヤでは羊はよく道に迷ったが、それには理由があります。ユダヤの国の中央を丘陵地帯が縦走しているが、その上部の幅は、わずか3キロないし5キロで、牧草はここにまばらに生えていて牧場を仕切る壁のようなものはなく、羊はよく迷い出た。そして、一度高原の草地を離れて峡谷に落ち込めば、身動きできなくなり、そのまま死んでしまうことがあった。・・・・・

パレスチナの羊飼いは迷った羊を探し出す名人で、何キロ羊の足跡をたどって羊を連れ戻すのであった。イエスの時代のパレスチナでは、羊は個人のものではなく、共同の所有物として村に所属する場合が多かった。そこで羊にはたいてい二三人の羊飼いがついていた。だから九十九匹を残しておくことが出来たのである。この場合、羊飼いが一人であったならば、残された羊は飼い主のいない群れとなり、その羊たちも迷い出る可能性があった。・・・・・

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この話では、仲間の羊飼いが夕方、羊の群れを村にある羊のおりに連れ帰った時に、村中に歓声があがる。村人はみんなでこの羊飼いを出迎え、一度迷って、見言い出された羊の話を聞こうと集まってくる。・・・・

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この羊飼いの中に、イエスが好んで用いられた神と神の愛の描写がある。この譬え話は、神の愛について多くのことを教えている。

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1・・神の愛は個人的な愛である

99匹の羊がいても、山に迷っている一匹を連れ戻すまでは、羊飼いは気が休まることはない。親は子供が何人いても一人一人が皆大切で、いなくていい子共など一人もいない。神もこのように、迷っている者の最後の一人が帰ってくるまで心を痛められる。

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2・・神の愛は忍耐強い愛である

羊は愚かな動物として知られている。羊が危険な目に合うのは、自分が悪いからである。人間は愚かな人には忍耐せず、愚かな人間が問題を起こすと「あれは自分が悪いから、自分が招いた災いだとあまり同情はしない。

しかし、神は、そのような方ではない。羊が愚かであっても、羊飼いはその羊を救うために命を落とす危険をおかす。人間は愚かで、自分が悪くて罪を犯し、不幸を招くが、それでも神はこの愚か者を愛される。

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3・・神の愛は人をたずね求める愛である

羊飼いは、羊が自分で戻ってくるのを待たず、自分から出かけて行って羊を捜す。ユダヤ人が今でもクリスチャンの神を理解できないのは、神は罪人が惨めな姿で帰って来た時だけゆるす、と考えているからである。しかし我々は、神がそれよりはるかに素晴らしい方であることを知っている。神は、イエス・キリストにおいて、迷い出た人たちを探し求められる。神は人が戻ってくるのを待ちきれず、どんな犠牲を払ても、ご自分から出て行って探される。

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4・・神の愛は喜ぶ愛である

ここにはただ喜びだけがある。責任のなすりあいもなければ、いやいやながら、軽蔑しながらも受け入れてやろうとする優越感はない。我々は、悔い改めた人を受け入れようとするときには、説教をしたり、軽蔑の気持ちをはっきり示したり、または、これからも信用もしなけらば用事も頼まない、と言わぬばかりの態度をとる。人間は他人の過去を忘れられず、自分が被害を被った他人をの罪をいつまでも覚えている。しかし、神は我々の罪を忘れ、我々が神に帰る時、ただ喜んで迎えられる。

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5・・神の愛は保護する愛である

愛は人を捜し求め、また救う。愛の中にも人を堕落させる愛、人を軟弱にする愛があるが、神の愛は保護する愛である。人を救って同胞に奉仕させる愛、迷う者に知恵を与え、弱い者を強め、罪人をきよめる愛、罪の虜になった者を解放して聖なる者とし、誘惑に負けた者を罪に勝たせる愛である。(W・バクレーの解説より)

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お嬢ちゃんもしばらくぶりだね・・そうよ、忘れられたかと思った・・そんなことはないよ


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何日ぶりかにブログを書いた。こんなに長い間、間を開けたことはなかったのだが、とにかく書いた。自前の文章ではないが、しばらく辛抱していこう。