イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月4日(木):イエスと出会った人たち (1)

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・・・・・羊飼いと博士たち・・・・・

『人生は出会いで決まる。』誰が言った言葉かは知りませんが、よく聞く言葉です。きっとこれが真実なので、よく引用されるのではないでしょうか。わたし自身(羽鳥純二)のことを考えてみても、二人のすばらしい先生との出会いによって生涯が決まったと言ってもいいと思います。一人は、旧制高校の校長先生です。この先生は私に、人間の貴さと責任をもって生きることの大切さを教えてくださいました。もう一人は聖書学校の校長先生です。この先生は私に、イエス・キリストというお方を紹介して下さり、このお方に従って生きることのすばらしさを教えてくださったのです。そしてこのイエス様との出会いが私の生涯をそれこそ180度変えたと言っても決して言い過ぎではないのです。・・・・・・

聖書の中の福音書は、いわば、イエス・キリストの伝記ですが、見方によれば、いろいろの人とイエス様との出会いの記事を集めたものとも言えると思います。ですから福音書は、決して堅苦しい教えを述べたものではものではないのです。確かに長い説教も書き記されています。しかし、その説教も、ただの理窟とか、教理と言うものではなく、ある人々がある時イエス様にお会いして、その時、その人々に語られたことが書き留められているのです。ですから哲学や宗教学の論文でも抽象的な人生論でもなく、現実的な問題に対するイエス様の答えなのです。現実に生きている人間とイエス様との間の真剣な対話なのです。・・・・・・・

聖書はそういう生きた言葉の集まりなのです。そこにはイエス様と人間との生き生きとした心と魂の交流があるのです。私はこれから、この聖書、特に福音書の中から、色々な人とイエス様との出合いについてお話したいと思います・・ すぐにお分かりになると思いますが、これは2000年前のある特別な人たちが経験したという出会いだと言うだけでなく、わたしたちと同じように、喜び、苦しみ、寂しさ、願いを持っている人々が、イエス様という生きた人格と出会って色々経験した、その経験でもあるのです。また私たちの経験となり得ることなのです・・・・・

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さて、思わず前置きが長くなりましたが、まずは最初にイエス様に出会った人たちを考えましょう。聖書を開いてみると生まれたばかりのイエス様に第一にお会いしたのは、マリヤとヨセフを除くと、その地方で羊の番をしていた羊飼いだったことが分かります。そして、次に出てくるのが東の国の博士たちです。この二つのグループはなんと違っていたことでしょう。一方は無学な羊飼いでした。もう一方はイエス様に素晴らしい贈り物ができるほどの金持ちの大学者でした。またその反面、羊飼いはたちは神から選ばれたユダヤ人で子供の頃から来るべき神様の救いについて聞かされていました。しかし、学者は異邦人であり、聖書のことは殆ど何も知らなかったでしょう。一方は青年で、一方は老人だったかもしれません。でもともかく、二つのグループが、イエス様のところにやってきたのです。

私たちは皆違っています。学歴、地位、性別、年齢、あるいは国籍も違うかもしれません。しかし、ただ一つ共通なことがあるのです。それは、誰でもイエス様にお会いしなければならないということです。誰でもイエス様と出会うなら、祝福され、人生が変わるのです。私はあなたにも、このイエス様とお会いしていただきたいと心から願うものです。

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(羽鳥純二先生。イエスと出会った人。より)

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今日は、書棚で羽鳥純二先生の本を見つけたので、それを書かせていただいた。羽鳥明先生のご実弟で、元共産党員、東大卒、という異色の牧師であった。羽鳥明先生の書かれたものは度々、拝借したが、純二先生の書かれたものを取りあげるのは初めてである。一度、随分昔に、前の教会においでくださった。そのお話も忘れられないが、教会からお二人をお送りしたことが忘れられない思い出になっている。優しい方たちだった。

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