イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

4月11日(土):アンナ・カレーニナ

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ロシアの文豪トルストイの代表作のひとつ。アンナ・カレーニナ。この小説の女主人公。若い美貌の人妻が、社交界の寵児、青年将校との恋に身を亡ぼす。・・・この小説の書き出しはこうである・・・「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。(木村浩 訳)。インターネトで調べてのだが、どうもしっくりこない。昔、読んだ本があるはずだとおもい、

「小屋」を探した。あった。あった。その書き出しは、こうである。「幸福な家庭はすべてよく似かよったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」。(中村白葉 訳)こちらの方が訳文として数段よい。この本の裏書を見ると、「S

40.10.12.PM3.05分読み終える」と書き込んである。その時代に何処で何をしていたか、ややこしいので省略する。問題は、この小説の「書き出し」が印象的だったことである。トルストイはこの書き出しの、1・2行にこれから書く小説の序文として万感の思いを込めたような気がする。・・・・

新聞には必ず投書欄というのがある。そこに若い女性の投書が載った。内容は、「人は何のために生きているのか・・・?」

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という問いかけであった。新聞は、朝日か毎日であったとおもうが、投書欄は大騒ぎになった。読者からの反響が大きくて、有象無象(うぞうむぞう)の輩が我こそがこの可憐な乙女を慰めずばなるまいと、投書が殺到した。新聞社も商売である。すっかり悪乗りして、特集を組むほどの始末であった。しまいには、宗教家や、牧師まで投稿していたが、私の記憶に残る回答は一つも無かった。こうしてみると皆おしゃべりな割には、多くの人は確かなものを持っていないといことがよく分かった。

特に宗教家の、それも牧師の回答は悲惨であった。全てが教条的なのである。優等生のお話ばかりで、「うんざり」するのである。・・・岸先生は、ステージを下りて、聴衆に寄り添うようにSAXを吹かれる。主なる神は、エリフアズに怒られた。「あなたはヨブのようではなく、真実を語らず」42章

・・・・・多分、私たちも、アンナのように虚偽と欺瞞に満ち満ちた世界に棲んでいるのだろう。私たちの幸福とは、至極当然で当たり前の家庭にあるのだろうと思う。不幸な人たちはやたらと難しい関係の中にすんでいる。いずれにせよ、人は永遠の命を持たなければ、永遠に不幸であるに違いない。

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