イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

4月10日(金):何ものをも 拒否するな

                  何ものをも 拒否するな  Renounce  nothing
                  何ものにも  しがみつくな  Cling  nothing

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イエズス会司祭  アントニー・デ・メロ著【心の泉】抄訳。

新約聖書の中に、使徒パウロがコリントの人々に宛てた第一の手紙の中に、「愛の章」(13章)と呼ばれ広く信徒に親しまれている御言葉がある。【愛は寛容であり、愛は情け深い、またねたむことをしない‥‥】この章句を諳(そらん)じている人も少なくない。聖書の中でも深く人々を慰めてきた言葉であるようにおもう。・・・・上の司祭様の言葉は、つきつめてみると、愛の章に辿りつくような気がする。愛は、「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」・・・愛はいつまでも絶えることがない・・・喧騒な時代、あらゆるものが錯綜した目まぐるしい社会に私たちは棲んでいる。これだけの運動量がなければ、世の中は成り立たないのかと、思ってしまう。【清貧】という言葉がもうずっと昔にあった死語のように思えてくる。キリストにならいて生きていくのが、キリスト者にとってむつかしく思えるときがある。この世の何処かに、言い知れぬ、はかり知れない深い断層あるような、そのような虞(おそれ)を感じる。・・・・今の時代を聖書の時代にあてはめて、何時の時代に該当するのかなと、考えてみた。ノアの時代なのか、バベルの時代なのかはかりかねている。・・・一昨日、隣の教会の牧師夫妻が訪ねて来られた。

一曲、賛美しましょうかというので、新聖歌41番をお願いした。♫みことばをください 人と人との 心通わず乱れ争う世界のために♫・・・楽しい牧師さんだった。ついでに秋田民謡まで歌っていかれた。我が殿、深瀬牧師の知り合いで、大学も同窓生であったとは、しばらく笑いが止まらなかった。・・・・今朝は鷲津メリーさんから問安の電話があった。米国のゲルハウス牧師ご夫妻から、東日本の震災のお見舞いの手紙があった。

☆この稿は、2011年頃に書き留めておいたものです・・

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毎日、コロナウイルスの事で、大騒ぎ、大変なことになりそうだ!!!。来週打当温泉に行く予定だったが、あんな山奥の湯治場も閉鎖、ここは辛抱のしどころかな。じっくり本でも読むか・・・・

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