イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

4月10日(金):洞察力

                              ・・・洞察力とはなんですか・・・

【洞察とは、物事をよく観察して、その本質を見抜くこと。つまり、物事の奥底まで見通すことです。つまり、ある状況に遭遇したときに周りをよく観察して、その状況を見抜くちから】

      ・・・Yahoo!知恵袋より・・・

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名古屋で運転免許の講習を受けた時、講師の方が、運転のうまい、下手は洞察力にかかっている、と言われたのを記憶している。うん、なるほどと思ったものである。警察関係の人にしては、教養と洞察力があるな!!!。と思ったほどである。(ジョークです。)。ある有名なF1レーサーが、レースで走行しているよりも、街中を運転している方が、ずっと難しく怖いと話していたことがあった。要するに、運転の上手、下手は前後左右全てのことを注意深く観察し、自分の車の位置を客観的に把握出来ているかどうかなのだろうと思う。特に女性の運転は、自分の走る方向しか見ていない傾向があるようだ・・・・・・・・

聖書を読む場合に大切なのは、「洞察力」である。昔、大学生の頃、新約学を教えてくれた先生は「聖書を追体験的に読みなさい」と話してくれた。特に福音書においては、そこに記されている事に最大限の注意をはらって、その出来事を、劇場化、脚本化して再構成してみることだろうと思うのである。そのような聖書の読み方をしていると、その「劇場」で今まで気づかなかったイエスのお顔が私たちに迫って来るのである。

☆☆☆ヘッセの小説に「ナルシスとゴルトムント」という題名の作品がある。日本の出版社は「知と愛」という題で出版したが、それでも読者はその小説の内容やストーリーは分らない。

それでも、私たちはその本を買って読む。なぜか。「ヘッセ」の本だからである。私たちはその小説のストーリーの面白さ以上に、「ヘッセ」という人物、人格、思想を読みたいのである。書かれてある物語の内容の面白さ以上に、これを書き上げた人物の内容に迫りたいのである。・・・・・聖書を読むのも同じである。記されている出来事や教訓や、ストーリーではなく、洞察力を駆使しつつ、その中から、イエス様のお顔が彷彿されてくるとしめたものである。

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