イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月17日(日):聖書の価値

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『けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだか知っており、(祖母ロイス、母ユニケ)。また、幼い頃から聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです』(Ⅱテモテへの手紙3章14節~17節)

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例話Ⅰ・・・チリに住むヴィンセント・クイロガは地震の後の津波で、海岸に打ち寄せられたある本の数ページを発見した。彼はその数ページを読んだ。彼は聖書の残りの部分を探し出し、それを読み続けた。そして、彼はその書かれていることを信じた。その後、彼はその生涯を北部のチリの、顧みられない村々に聖書を配布することに捧げた。

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例話Ⅱ・・・一人の聖書販売人が暗い夜、シシリーのある森で山賊に捕らえられた。彼は拳銃を突き付けられて、手を上げさせられた。「火をおこし、本を焼け」と山賊が言った。彼は火をおこし、「本を焼く前に少し拾い読みしたいんだが」と言った。そして読み始めた。最初に詩篇の23篇、良きサマリヤ人の話、さらに山上の垂訓、第一コリント13章。それらを読み終えると、山賊は言った。「それはなかなか面白いな。その本を焼きたくない、俺にそれをくれ」と言って、聖書を持ち去り、闇に消えて行った。・・・ 数年後、同じ山賊が現われた。その時、彼はキリスト教の牧師になっていた。 『聖書が、人間にその誤りを悟らせ、キリストの力を確信させる事は疑いもなく、異論のない事である。

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