イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

4月17日(金):冬きたりなば春遠からじ

           

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    If winter comes.can Spring be far behaind 

イギリスのロマン派詩人、シェリーの「北風に寄せる頌歌」の一節である。中学か高校の教科書にも載っていたので、覚えている人も多いと思う。英文よりも日本語訳の方がすぐれていると教えられた。ここ数年この季節になると思い出すことばである。立冬が過ぎ冬至になると一日ごとに寒さが厳しくなり、大寒へと向かう。それと逆に一日ごとに夕暮れが遅くなり陽ざしが長くなる。まさしく、「冬来たりなば春遠からじ」である。

≪梅一輪 一輪ほどの あたたかさ≫ ・・・ある気象予報士の人が解説していたが、梅は暖かさで咲くのではなく、光の強さで咲くのだと。してみれば、冬至から春が始まっているのである。冬の厳しい寒さの中で働く者には嬉しいことである。あぁ、もう夕暮れ時かと気づくホワイトカラーにはなかなか味わえない実感である。・・・・北 杜夫、という作家の講演を聞いたことがある。彼は「たおやかに」ということをしきりに語った。この言葉をテーマに本を書いたと述べていた。たおやかに・・・いい言葉だと思う。ゆるやかに、ということと同じ意味合いなのであろうが、そこは、凡人の理解を超えた文学者のこだわりがあったのであろう。・・・使徒パウロは、自分は貧しさのなかにも、豊かさのなかにも生きていくすべを知っている。と書いている。人は、少しばかりお金があると、傲慢になり、貧しければ、貧しさの故に、卑屈になる。どちらも主の喜ばれることではない。・・・パウロのようにいかなるときも身を処していきたいものである。その秘訣は今の世にあって、「たおやかに」生きていくことであるようにおもえる。しかし、その言葉のゆるやかさとは裏腹に至難なことを私たちは知っている。それ故に、主は「御国」を示して下さった。

  ・・・・冬来たりなば春遠からじ・・・・である。

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