イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

4月27日(月):大ジャンプ

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いつの頃だったか「百万人の福音」という雑誌に上のワンちゃんの写真が載っていた。おもわず、笑ってしまったが、この犬「ぶんぶん」というのだそうである。荒川の土手に捨てられていたのだという。それにしても、この決死の形相がなんとも言えず可笑しい。あるお年寄りが孫の自慢話ばかりするので、何となく敬遠されている。敬遠されたり、したり、そんなお仲間には入りたくないが、他に何も誇るものがないので、せめて私にも犬の自慢話くらいさせて欲しい。母犬については既に書いた。その息子が背中に「日の丸」を背負っていたので、珍しがって地方の新聞に写真入りで、載せてくれた。・・・・・・

学生時代の英語のテキストに、JACK LONDONの書いた。 『THE CALL OF  THE WILD』(野生の叫び)。という小説を使った記憶がある。犬と人間との「友情」を描いた物語りであった。犬というのは実に主人に実に忠実な動物である。私は

猫も嫌いではないが、それでもあの彼女たちの身勝手さはどうにも我慢がならない。秋田が世界に誇る画家、藤田嗣治画伯は猫好きだったらしいが、いつも引っ掻かれていたと、どこかで読んだことがある。本物の猫なのか、化け猫なのかその辺までは読まなかった。わが家の母犬は、千葉の鉄砲撃ちが岩手の山に連れ来たが、はぐれて迷子になった。仕方なしに飼い主は千葉へ帰ったが。母犬は岩手の山中を二か月ほど放浪していた。

やがて、ようやく元の場所に帰って来たが、飼い主はいない。

そんなことで、私の知り合いの猟師相手の雑貨店で居候していた。私を見ると、店の主人が、「三浦さん、この犬連れていきなよ」といった。「いい犬だ」と近くにいた猟師も太鼓版を押した。おそらく、血統書付きの、グルジュア犬で、美形でもあった。ただ、訓練不足のまま、岩手の山中に連れてこられ、迷ってしまったのだろう。・・・・この犬を見て、大抵の人は「賢そうな犬ですね」という。「はい、賢いのです」とわたしは即座に応える。・・・・・

それに比べると、息子の方はいまいち頭脳明晰とは言い難い。顔立ちも母犬は美形で

あったが、こいつの方は足柄山の山賊か、はたまた、壇之浦に沈んだ平家の落武者のような形相をしている。一吼えしなくても誰も近づかない。しかし、顔立ちはともかく、気立てはいたって良い。ハチ公ほどではないにしても忠犬であることには間違いなさそうだ。わが家で生まれた犬は、私を親だと思っている。以前、誤って毒草を与えたことがあった。何の疑いもなく

食べたが、後でひどい目にあっていた。悪いことをしてしまった。野原へいってもそんな毒草は食べないが、ご主人の下さるものを疑いもなく感謝して(?)食べたのである。・・・・・

ペテロより信心深く(使徒10章)、ソクラテスのように、潔(いさぎ)よい。

     ・・・ぶんぶんよ飛び越えたか・・・

私たちの前には深淵がある。私たちが信仰にはいるとき、前に横たわる深い崖があってそれをどうしても、それをどうしても飛び越えなければならないのだと・・・・・

パール・バックがその大著「大地」の中で書いている。

    ・・・・ぶんぶんよ やったか・・・・

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