イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月8日(金):犬・猫 夫々の終わり方

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我家には旅に出ている時を除けば、大抵、犬、猫がいた。

昔、どこかのTV局で、像の最後の場面をドキュメンタリーとしいて放送しているのを観たことがある。サバンナで年老いた像が一頭群れから離れていくのである。群れから離れた像は草原の上に身を横たえ、静かに死んでいく。群れは何事もなかったように草原を進んで行く。・・・・・

私は、随分猫を飼ってきたが、いまだに彼女たちの最後を看取ったことがない。彼女たちは、ある日忽然と姿を消すのである。あぁ、こいつもだいぶ歳をとってきたなと感じているうちに、姿が見えなくなり、帰ってくることはなかった。先日、近所の人が18年間も飼っていた猫の話をちえ子にしたと言う。その猫が珍しく、外へ出て行くのを見ていたが、道路を横切り、前の林の中へ入って行ったという。不審に思い後で林の中を探してみると、ネコは木の根株にぐったりと体を横たえていたという。その人は急いで抱きかかえ、家に連れ帰り座布団に寝かせたというが、もう動くこともなく間もなく息を引き取ったというのである。これはたまたま、飼い主が猫が林に入って行くのを見かけたので、家の中で息を引き取ったが。そうでなければ、木の葉に埋もれて死んでいたことであろう。・・・・・

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犬の場合は逆であるように思う。彼らは死期が近づくと、飼い主を探し求める。今年の6月に12年間飼っていた犬を亡くした。奴も随分歳老いて、こちらが先か、あいつが先か、分からないような状態だった。危ういので近くに置いていた。その日の午後まで、小屋のベッドで休んでいたが、そこから這い出して来て、私の机の方まで来ようとして力尽き、渡り廊下を転げ落ちていた。気づいた時にはもう、虫の息であった。急いで引き上げたがもう手遅れであった。それでも私の膝の上に顎をのせて静かに息を引き取った。こいつの母親も同じだった。16年生きたが、終わりの日は、よろよろしながら、私の方へ向かって歩いて来た。様子が変なので、小屋のソファに抱きかかえて運んだ。そして、これもまた、私の膝上に顎をのせて静かに息を引き取った。・・・・・・

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猫は自分の死にさまを見られたくないのか、飼い主から離れていくようだ。犬は逆に最後の別れに、飼い主を探し求めるのだろうか。彼らの心情を忖度するのはむつかしいけれど、夫々の終わり方があるのだろう。どちらかと言えば、犬派の自分としては、犬に見習いたい。主、イエスの身許によろよろと、歩んでいければ幸いである。彼は私を抱きかかえ、私の禿げ頭をなでて、「いい子だ、いい子だ」と言ってくれるかな・・・。

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