イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

12月31日(木):2020年の終わりに

f:id:dotadotayocchan:20201211082349j:plain


この一年を月ごとに振り返ってみようと思う。少々記憶の飛んでいるところもあろうかと思うが、御年76歳仕方あるまい。その際はご容赦を。

1月・・この冬は記憶にないほどの暖冬であった。村の古老たちもこんな雪の少ない年は記憶にないとないという。わが家の除雪機も、稼働は一日30分だけ。昨年9月に、市民病院で、胃瘻の講習を2週間ばかり受けて

10月から知りあいの信徒さんの、おばぁちゃんをあずかることになった。老人福祉施設に空きがないので、自宅に空いている部屋があったので、そこに寝かせた。気の毒だったのは、娘さんで150キロの道を週2回ほど通ってくれた。そして、一月はほとんど、介護士をやった。

2月・・おばぁちゃんは回復の見込みがない。幸いまだ少し意識のある時、「病床洗礼」を受けることが出来た。それにしても、日本の福祉政策は進んでいる。特に北秋田市は、前の市長が「福祉のまちづくり」主要政策に掲げ、全国版になっていた。近くに末の娘さんがいて、この人も難病を抱えていた。おかぁさんの見舞いに来た時、泣きながら、洗礼を受けた。わが家の妻も、大腸癌の手術を受けて一年目、結局、二人の病人を看る状態であった。それでも上の娘さんが私たちをきづかって、ショートステイにあずかってくれたので、何日かは息抜きが出来た。ケアマネジャーが、隣町に空きを見つけてくれて、この月の16日に、福祉施設に移ることが出来た。結局、5か月近くお世話ることが出来た。

3月・・伝道のために以前からブログをやりたいと思っていたのだが、渡りに船とは、この事かと思うほどに、ブログを立ち上げてくれる人が現れた。おばぁちゃんが施設に移る翌日には、ユーヤ君がブログのシステムを作ってくれた。魔訶不思議なことの成り行きであった。ここから我がブロガー人生が始まった。「進藤龍也」は、以前からブログをはじめ、上手に活用していった。私は、書くことに集中し、彼は広めることに力を注いだようだ。

4月・・幸い、以前から「イミタチオ・クリステイ」という小冊子を定期的に発行していたので、その原稿を借用すればよかったので、案外、楽に

ブログを書き続けることが出来た。ここで難題が持ち上がった。わたしが朝から晩まで、書斎に籠りっきりになるので、奥さんが寂しがって、泣きべそをかき始めた。私はどちらかと言うと、イヌ派で、もう12歳になる犬を飼って、気晴らしに、野山を駆け回っていたのだが、奥さんは猫派で

犬はあまり好きではない。そこで、前から飼いたがっていたのだが、猫は、部屋を汚すので、禁止していた。この際、背に腹はかえられない、猫を探してやることにした。

f:id:dotadotayocchan:20200712154902j:plain

 

5月・・丁度いいやつがいた。県の動物愛護センターのホームページを調べたら、可愛いのがいた。これだ、これだと早速「注文した」。しかし、事はそう簡単にはいかなかった。この美形の猫は、引く手あまたで何組もの人たちが欲しがっているという。ここでまた、摩訶不思議なことが起った。動物愛護センターへ出かけ見ると、びっくり仰天、担当者が、去年うちの犬のマルがお世話になった獣医さんだった。話はうまくまとまりそうだった。それでも、三日間秋田まで100キロの道を往復し、めでたく、譲り受けてきた。因みに、猫の名前はアルとつけられていた。奇妙に似た名前で、アルと呼んでも、マルと呼んでも、どちらも返事する。いうまでもなく奥さんの機嫌はやや、治まった。

f:id:dotadotayocchan:20201118192555j:plain

6月・・アルはすぐに奥さんになついた。しかし、私にはなつかない。オスとメスとは仲良くなるが、オスはオスを敬遠するのは、人間の世界も動物の世界も同じようだ。猫ほどわがままの生きものはいない。主人の私を甚だしく軽んずるのである。それでもどういう風の吹き回しか、私にもじゃれついてくるときもあるので憎めない。

 7月・・さて、この頃になると、ブログに載せる記事が底をついた。わずか原稿用紙にして、3枚くらいのことだが、短ければ短いほど、文章は厄介だ。ある作家の人が、雑誌社の人が原稿を受け取るに来ると、窓から逃げて、銀座で捕まったという逸話もある。私が窓から逃げてもマルもアルも書いてはくれない。どういう意地を張ったのか、一日たりとも休みたくはなかった。礼拝を休まない信徒さんがいる。もう十年近くになるが、身内に急な不幸ごとがあって、一二度礼拝を欠席したが、ご主人を車椅子に載せて必ず礼拝には出る。それが牧師にとってどんなに心強いか、多分牧師になってみなければ分からないだろう。人数は少ないが、そうした信徒たちによって、平和が保たれている。

8月・・相変わらず、コロナは収まる様子はない。そんな中で、岐阜から姪っ子たちが、遊びに行くと連絡があった。「あぁ、いいよ」と言ったものの、内心困ったことになったと思った。私たちの教会のメンバーは、歯医者さん、薬剤師、病院の婦長、介護施設の職員といった顔ぶれで、絶対コロナには罹るわけにはいかない人たちである。それぞれが重い責任を担っている。お客さんは、隣接する祈りの施設で、一週間過ごしてもらった。そこには、風呂とキッチン、トイレが備わっている。数年かけて妻と二人で建てた。誰でも来て、祈り、泊まって生活できるようになっている。姪っ子の家族はそこで一週間を過ごし、勝手にあちこち観光に出かけたので、信徒さんと交わることはなかった。

9月・・この月は何事もなく過ぎた。一日中本を読んで、気晴らしにマルを連れて山を駆け回る日が続いた。あまりいいことは続かないようだ。目を使い過ぎたのか、瞼が腫れて、逆さまつげが眼球に刺さって、本が読めなくなってきた。眼科へ行ったらこともなげに手術だと言われた。この種の手術は今度で三回目。片目づつ間をおいてやるので、結局二か月くらいかかる。

10月・・そうこうしているうちに、またもや、岐阜からお客さんが来ることになった。長年、精神薄弱児童の先生をしてこられた、ご夫婦で、すでに退職し、これも一週間ほど東北の旅の途中で、私どもところに寄り、近くの温泉に二日ほど泊まって行かれた。以前からちえこの義兄関係で、手紙のやり取りはしていたが、初対面ではあったが、仲のいいご夫婦だった。「妻は少し足が不自由なんです」とのことだったが、何の不自由

もなかった。夫唱婦随、の逆を地でいっていた。礼拝でメッセージをしてもらった。コロナのことは私も、今度は腹をくくった。

11月・・毎年この月は、冬の準備にかかる。うっかりしていると、11月に根雪になるほど雪が積もるので、油断はできない。窓枠は、当社自慢の「カコイード」を取り付ける。これはなかなかの優れもので、引退する前は、これで稼いでいた。窓の断熱と防雪、ポリカを使うので、冬でも部屋が暗くならない優れもの。さぁ、さぁ、雪さんいらっしゃいと構えていたが、11月は小雪だけ。

12月・・12月になると教会は一気にクリスマスモードになる。アドベントが、11月29日。教会の回りに飾り付けが(ささやかに)された。ちえこがやる。今年は各自にお弁当を取ってこじんまりしか出来ない。

思わぬことが起きた。16日、青森の兄から電話があって、義姉が亡くなったと言ってきた。胃瘻の状態だったが、春までは持つかなと思っていたのだが、もたなかった。青森へは、荼毘と告別式で二回ホテルどまりで行って来た。二度目の帰りの夜は、猛吹雪に見舞われた。四角い箱のようなものが私の車の前を、進んでいた。バスかな、箱車かなと思っていたが、テールランプがない、私はそれに気づいていたが、黙っていた。するとちえこがあの四角いの何?。と言い出した。あれが何だったのか二人とも分からない。その四角い箱のようなものに誘導されて、高速道路を走っていたようだ。インターを降りると、高速道が、事故で閉鎖された。危機一髪のところで、帰宅できたが、アルがよほど寂しかったのか、ギヤァ、ギヤァ、と、ものすごい声を出して泣き始めた。それが二日くらい続いた。餌や暖房はしっかり用意していたのだが。クリスマスは、こういう時世では

どこか寂しかったが、逆に静かなクリスマスは、祈らせられる。騒がしいよりこの方がいいのかも知れない。こうして、一年を終わろうとしている。三千三百余文字で一年を書き記すには、あまりにも無理があるが、これは我が家のメモ帳にはなるだろう・・・・・

f:id:dotadotayocchan:20201224104039j:plain

f:id:dotadotayocchan:20200905180604j:plain

あたし歳とるのいや・・老人にしか見えないものがある・・そう~お?