自分が仕掛けたわなに自分がかかる、これほどの悲劇はない。神はいきておられるのであり、ハマンの悪をゆるさずさばきたもうたのである。・・・・・・・
私は神学校で仏教の先生からこんな話を聞いたことを覚えている。『京都のある寺に有名な坊さんがいた。その名は広く周辺に伝わり、毎日参詣者が絶えなかった。ところがその寺の前に一軒の花屋があった。そこに一人の美しい娘がいた。この娘が不義の子を産んだ。怒った父親は「これは一体誰の子供か」と問い詰めた。返答に困った娘はこともあろうに前の寺の坊さんの子だと偽りを言った。ところがそれを真に受けた父親は烈火のごとく怒って、その赤ん坊を坊さんにつきつけ、「坊主のくせに、うちの娘に子を産ませるとはけしからん」と言って罵倒した。するとこの坊さんは「あぁ、そうか」と言って、その子を受け取った。この話が伝わるや、人々は驚き、あきれ、もはやだれ一人この寺をたずねてくる者がいなくなった。そこで困ったのは、花屋である。参詣人が来なくなり、花が売れなくなって、逼塞するばかり。困りはてた娘は、あの子は坊さんの子ではないと初めて本当のことを打ち明けた。真実を知った父親は平身低頭して寺をたずね、重々非礼を詫びて、その子を返してくださいと願ったところ、この坊さんは
「あぁ、そうか」と言っただけでその子を返したというのである。もちろん、この事はまた四方に伝わり、前にも増して参詣人が増えたという話である。30年も前に聞いた話なので、正確ではなかろうが、話の筋は間違っていないと思う。・・・・・・・
私はこの話を思い出すたびに私なら土王するだろうかと考える。おそらく必死になって自分の潔白を主張するであろう。当然のことである。あらぬ汚名を着せられていて、黙っている筋はない。まして名声が地に落ちるののでは(もっとも自分の地に落ちるほど高くはないが)迷惑しごくである。そして、わたしが自己弁護したからといって誰もそれを非難しないであろう。・・・・・・・
だが聖書に「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者の故に、ねたみを起こすな。彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで安きを得る」(詩篇37;1~3)。
不義をゆるしてはならない。悪を座視していてはならない。しかし、もし神に対する神の裁きを信じないならば、それは単なる憤りになってしまう。怒りや、憤りは肉の思いである。・・・・・・・・
ハマンはモルデガイのためにつくった、木に自分がかけられた。この神の裁きを信じるがゆえに、悪に向かって戦っていく。それは、最後の勝利を信じて戦うことである。そこに私たちの悪の世における生き方がある。・・榎本保朗・・
註:ここに記されている坊さんの逸話は、一休和尚のことである。幼い頃に何かの本で読んだ。
昨日「村の小さな教会」を投稿したら、ある人がこんなことを言ったという。
「いつまでも小さな教会はいかがなものか」と。一応短いコメントで対応したが、
多分、納得はしないであろう。FBのコメントはどうしても言葉足らずになる。そんなことでいろいろ誤解を招いたことも経験しているので、ここで少し、補足しておきたい。
この事は、「キリスト教の教義学の範疇から説明しなければならいが、普通の信徒がこれを読み説くには困難がある。大きい教会も、小さい教会も、神の目からは差別はない。ただ、その教会に、どれだけ、「真に神を信じる者」がいるかという問題だけである。大勢の中でも本当に神に服従している者が、真の教会員であり、それは小さい教会でも同じであるが、私の委ねられている「小さな教会」には、一騎当千の強者たちがいる。また、大きな教会には人間関係でなじめない人もいる、その困惑する小さな信徒のためには、小さな、アット・ホーム的な教会が必要なのである。そこでは兄弟姉妹のつながりが深く、教会に行っても牧師と、仲間と、静かな時間が持てないというのは寂しいものである。ある、青森の教会では、礼拝が終ると、間髪をおかず牧師はいなくなるという。礼拝者は、どこかしらけた気分で帰らざるを得ない。これも、今日の形式化した教会の一つの特徴と言えるかも知れない。私と、ちえこは最後の一人が教会を出るまで、見守る。またある教会の牧師夫妻は、礼拝堂の出口で、帰る信徒たちを握手を交わして送り返すという、そこには、手を合わせて祈らずとも、その行いが、祈りそのものである。アーメン。