イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月22日(水):村の小さな教会

f:id:dotadotayocchan:20210504105221j:plain

村の小さき教会 今もそこにあるや いとも幼かりし日 我は今思い出ず。♫・・・・聖歌340番

クリスチャンなら、誰でも一度は口ずさんだことのある賛美歌。なんとも私たちのうちに郷愁をよびさます。日本では欧米のように村々に教会があるわけではないが、戦後キリスト教の伝道が進み、多くの献身者が、各地に遣わされた。ほとんどが風呂敷きつつみ一つ抱えて来て、みことばを宣べ伝えたものである。一人二人と信徒が加えられ、数人の群れになる。それが日本における村の教会なのである。よほど大きな教会で育った人でない限り、古い信徒、長い教会生活をして来た人はたいていそうした経験を持っている。・・・・・・・

f:id:dotadotayocchan:20210328151611j:plain

『ちえちゃん、ちえちゃん‥‥』と、電話の向こうで中野雄一郎先生の声がした。40年も昔の、「村の小さな教会」の先生と共に集った信徒の再会である。還暦を過ぎても、若い時のように恩師から「ちえちゃん」と呼ばれれば、思わず涙ぐまざるを得ない。昔と少しも変わらず、バイタリティ溢れ、優しいお声だったと、ちえこが言う。

私も電話口に出て、少しだけお話をさせていただいた。本当にちえ子の言うように歯切れ良い先生であった。いずれ雪が消えたら、ちえ子と共にお会い出来ればと願っている。

f:id:dotadotayocchan:20210320124412j:plain

キリスト教会(界)。とは意外と狭いものである。昨年の暮れごろ岐阜教会の瑞穂教会で増築記念集会に、中野先生にご奉仕して頂いたおり、ちえ子のことを中野先生が覚えていて下さり、名前が出たと、川村牧師から聞くとたまらず、先生、めいこ奥さんにお会いしたくなったのだろう。

ちえ子が教会に対して何ほどのことをしたわけではあるまいが、昔はみな貧しかった。本当に食うや食わずで先生方は、みことばに仕えていたものであった。いつぞや。めいこ先生が語っておられた。「坂戸のお米屋さんに、両手にひとすくいのお米を分けてもらいに行ったことがある」と。若い娘さんが、一握りのお米しか買えない。・・・・

f:id:dotadotayocchan:20210311133816j:plain

私たちの世代はそうしたことを「見て」育った。

「村の小さき教会」その昔を想うとき、そこには単なる郷愁以上の感慨と、そこで教会を立ち上げて来られた、先生方のご苦労がしのばれる。

学生時代、主任教授であった茂泉教授の「おはこ」がこの村の小さき教会であった。どのような思い出があったのかはお聞きしなかったが、キリスト教史を学んだ。原始教会から~使徒後教父の時代を経て、アタナシウスに至る。今尚、胸のときめく思いのする「講義」であった。もう一度お会いしたい。

f:id:dotadotayocchan:20201211082640p:plain