以前、私が発行している小冊子(イミタチオ・クリステイ)をあるご婦人に届けた。数日してその方から電話があった。ちえ子の「再臨に遅れた」という文章を読んだのであろう。「ちょっと。ちょっと!」と話し始めた。昔からきさくで、楽しい方である。「うちの教会の婦人会でもね、この前から、これ話し合っているのよ」。要するに、主の再臨に遅れたらどうするか?・・・その対策について意見を出し合っているそうである。・・・冗談ごとではあるが、案外冗談でなさそうなところに、妙な可笑しみがあって、電話のやりとりを聞きながら、笑ってしまった。・・・中野雄一郎先生も、電話で開口一番、「ちえちゃん、再臨に遅れないようにしようね」と笑っておいでだった。・・・・サテ。良い対策や名案があったのか。危ういご婦人たちである。かくいう我も危うい。よい名案があったらこっそりと、教えてほしいものである。
・・・デボーション・・・
朝のデボーションのとき、一通り聖書の言葉を語ったあと、何か質問があるかと聞く。最近はオフででゆっくりする時間がある。ちえ子があれこれ聞きたがる。「フム、フムと聞いているのだがどうも途中から、語気が強く、雲行きが怪しい。気が付くと、質問ではなく、「説教らしきこと」を話しているのである。「マテ、まてと言った」そして「お前は今、私に説教してないか?」・・・「ワァー。。。。」悲鳴のような笑い声。
・・・「こうなっちゃうのよ!・・・」
こちらが謙遜の限りを尽くして聞いているのに、説教をはじめるなんぞ、10年早い・・・・
朝、書斎の東側にある窓から、朝日が差し込んでくる。カーテンを着けたが、横着してピン止めにしておいた。日中は暑くなって、窓を開けてもカーテンが開かない。ちえ子が電動ドリルとビスを持ってきて、カーテンレールをつけてくれた。いつの間にか、私の仕事を手伝っていたせいか、手際がよくなった。
・・・・門前の小僧習わぬ経を読む?・・・・ちょっと違うか?。