わたしの態度のほかに、
変わったものは何もなかった
それだからこそ、
すべてが変わったのだ
(女子パウロ会)
この司祭様のお言葉は、イミタチに度々登場する。「心の泉」
というわずか十数ページの小冊子に収められている「詩、片
断章」である。どれもこれもギリギリに切り詰められた言葉の中に、私たちの琴線にふれるものがある。思いつくままに、これまでイミタチに使わせていただいたものを上げてみると・・
☆・・・神は、実り豊かな人生を愛されるように、
何も実を結ばなかった人生をもお愛しになる。
☆・・・何ものをも拒否するな 何ものにもしがみつくな。
☆・・・沈黙のうちに 人は 新たにつくりかえられる。
☆・・・他に、マザー・テレサの言葉も、意味が深い。
出来ないことは、神様が おのぞみでないのだ。
と思いなさい。
大館カトリック教会の岡崎才蔵神父様に何年か前に巻頭言を書いていただいたことがある。それを私は今でも繰り返し、繰り返し読んでいる。ジョークであるが、店(教会)をたたんでミサにでるか、というくらいカトリックフアンである。あの聖フランシスコでさえ、司祭様の乗った馬に脚にさえ口づけしなさいと言っている。
・・・イエスの言葉・・・
【まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることは出来ません】
【まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊に
よって生まれなければ、神の国に入ることができません】
【まことに、まことに、あなたに告げます。・・・あなたがたはわたしたちのあかしを受け入れません】
☆ ☆ ☆
【わたしの態度のほかに、変わったものは何もなかった】
・・・だからこそ、すべてが変わったのだ・・・
この言葉のもつ意味は深い。私たちは、他の人、あの人この人
を想い、自分の思い通りに変わってくれることを、意識する、しないにかかわらず、望んでいることが多い。もっと広範囲な事を言えば、世界が、世の中がこう変わればと、考えがちである。そのことは多分、あながち間違った考え方とは言えないかもしれないが、この司祭様は、もっと簡単な方法を提案しているのである。自分が変われば、すべてが変わると・・・・・
途方もない努力をして、ものごとを動かそうとするより。自分の心、考え方を変えれば、多分、そこにすべてが変わった新しい世界を見いだすことが出来ると、言っておられるのだろう。
どの様に私たちは変わっていくのか、お手本はイエス様のうちにあるようだ。