イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月15日(月):気化・学

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デボオーションは、楽しくなければ続かない。私たちはめぐまれているのかもしれない。仕事がら時間が自由になるので、弱いものたちであっても、案外長い間続いた。詩篇を一日一章づつ読んで、3回ほど繰り返した。・・・・・

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朝の時間、ちえ子にそうして聖書を教えている。しかし、あまりにも聖書の知識がなさすぎる。これはひとりちえ子だけに限らない。いつも言っている「あんこの部分だけ読むな」と・・

敢えて、極端な言い方をするが、聖書を「修身」の教科書みたいな読み方をする。あるいは、自分の気持ちのよい、聖句を選び読んで、感謝だ。めぐみだ。ハレルヤだと、・・・・・・

結局、釈迦の教えと、儒教の教えと、ごちゃまぜにして、聖書から教訓だけを強く引き出しているようだ。・・・・・・

これ以上書くとお叱りを受けそうなので、やめておく。・・・

     ☆        ☆         ☆

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          ・・・気化・学・・・

その朝のデボーションで、ちえ子のに聖書をおしえる。

「おとうーさんは、すごい」という。何がすごいかというと、その知識が無尽蔵であるかのようだ、というのである。苦笑せざるをえないが、元々、教えても、おしえても、次つぎと忘れてしまうのである。「博士の記憶は90分」というテレビドラマがあった。交通事故かなんかで、記憶が90分しか持たない博士の物語であった。(本も出版されていたようだ)。ちえ子の場合もそんなことに似ている。三か月もすると、前に聞いたことを、ケロリと忘れているのである。だから、わたしが前に教えたことを、忘れてしまい、常に新しい事を学んでいるように「錯覚」する。・・・・何故そうなるのか?・・・と聞くと見事な答えが返ってきた。《覚えたことが、頭の中で気化する》のだそうである。まぁ、これもまた気楽な生き方で案外いいかもしれない。・・・・・・

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