イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月16日(火):山椒の木

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我が家の道路の向こうに、山椒の木が一本植わっていた。季節になると道行く村人たちが、それぞれに山椒の実を数房摘んで、持ち帰っていた。山椒の実は、昔から香辛料として重宝がられて来ている。私は、実をすり鉢でつぶし、砂糖と味噌をまぜご飯に載せて食べるのが楽しみだった。・・・・・

ある時、その山椒の木を、近所の爺さんが、草刈り機で刈り払おうとしていたので、止めるように注意した。「みんながこの実を楽しみにしているのだから」と。その場はそれで収まったかに思っていたが、爺さんの娘さんが年に何回か里帰りする。その娘さんが我が家を訪ねて来た。何用かと思っていると、「

爺さんが山椒の木を切り倒した」と言って、謝罪に来たのである。元々、爺さんの土地に植わった木でもないが、さりとてわが家の土地でもない。仕方がないとしか言いようがなかった。

実は、私はたいして困らなかった。わが家の裏にまだ幼木ながら山椒の木が一本あって、実をつけ始めていたので、さして困ることでもなかった・・・のだが、「裏にもう一本ありますからいいですよ」と娘さんに言ったのだが・・・娘さんは消え入るような声で、「実はそちらも・・・」というのである。

裏に行って見ると、我が家の敷地内ある山椒の木が、根元から切り倒されていた。「なんて、ひどいことを・・・」言葉が出なかった。これは殆ど犯罪である。しかし、平謝りに謝る娘さんをみては、なすすべはなかった。・・・・・・

それから、二年程経ってから家の前にある栗の木が枯れ始めた。随分暑い夏だったので、初めは暑さで木が弱ったのだろうと考えていた。樹齢30年も超え、ピンポン玉くらいの大栗の生る自慢の木だった。その以前は敷地内にそうした栗の木が他に二本もあって、父は毎年嫁に行った娘たちに大栗を送っていたものであった。私は、祈りの家を建てる為にその木を切ってしまったが、「父の形見」みたいな栗を一本だけ残しておいていた。枯れたもの仕方がないと諦めたが、何年かしてふと、その木の根元をみると、細い輪のような溝があった。丁度なまし鉄線で幹回りを縛り、絞めつけたような跡だった。後から人づてに聞いた。木の根元をそのように締め付けると、やがて木は枯れていくと。・・・・・・

私は、そこで初めて、栗の木の枯れた原因を知った。私は探偵でもないので、下手人探しはできないが、★はあの爺さん以外に考えられない。その爺さんの連れ合いが、居間の前に朝顔を植えていた。ばあさんがちえ子の所へ来て泣きながら言ったという。「爺さんが、朝顔の根元を全部ハサミで切ってしまった」と。・・・・・・・・・

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私は、あの爺さんの仕業をあげつらう為にこの事を書いているのではない。人の心に巣食う心の闇について書いていつもりでいる。それは、多分誰でも持っているのかもしれない。ただ、爺さんの場合それが顕著にあらわれた。それは、ずううと昔の爺さんの生い立ちまで遡らなければ、理解しえないことかもしれない。ばあさんは、一日でもいいから、爺さんのいない生活をしたいと、ちえ子に言っていたというが、先に亡くなってしまった。それから爺さんは何年か生きた。私は、その間、家の前で石垣に腰をおろし、タバコを吸いながらぼんやりしている爺さんの姿を何度も見た。それは、とても寂しそうだった。

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     ☆        ☆         ☆

山椒の木を見つけた。毎朝、山へ出かける途中でちえ子が見つけた。今年は久しぶりに、山椒味噌が、ご飯にのりそうだ!。

花が咲いていた。きっと実がなるだろう。

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