イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月23日(土):キリストにならい

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第一巻 霊的生活に役立つすすめ 第一章

キリストにならい、世の空しいものをすべて軽んずべきこと

Ⅰ・・私に従う人は闇の中を歩まない(ヨハネ8:12)と主は言われる。これはキリストの言葉だが、もし私たちが本当に愚かさを捨て、心の闇をすっかり去って開放を望むなら、あの方の生涯や行いにならえと、すすめるものである。それゆえ、私たちは何より務むべきは、イエス。キリストの生涯について深く考えることである。

Ⅱ・・キリストの教えは、聖人たちのあらゆる教えにもまさっている。その精神を学びえた人は、その神学を学びえた人は、その中に隠れている霊の食物(マナ)をみつけるだろう。けれども時には、キリストの精神をなおまだ飲み込んでいないために、たびたび福音を聞いてはいるが、あまり心を動かされぬということがよくある。それゆえ、キリストの言葉を十分に理解し味わいたいと思う者は、あの方の全生涯に身を従えるよう努めねばならない。

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Ⅲ・・三位一体の論争について・・・・省略

Ⅳ・・はかない富への望みについて・・・・省略

Ⅴ・・耳目をそばだてることについて・・・・省略

以上がイミタチオ・クリステイという、500年程前に、名もなき一修道士の書かれた本の初めの言葉であるが、私はこの書名を、ブログ名として借用している者である。この書物自体、500年前に修道士があらわした本だけあって、現代の間尺には合わないところが多くあるのは確かである。しかし、それ以上に、私たちが聖書を読むうえで重要なことを語っている。

私もそうだがイエスの言葉を引用する時、それに従おうとするとき、イエスを紹介しようとするとき、それらの言葉は単なる、言葉以上に、その言葉の向こう側に絶えずイエス。キリストが存在していなければならない。

最初に引用した文章の本意は、常にイエスの生涯に目を向けなさいと強調している。あの方の生涯に深く思いをいたし、従うように、勧めているのである。最近、妻のちえ子も賢くなって、物事の判断に困る時、損得勘定が頭によぎる時、嫌いな人間とどう向き合っていくかで悩む時、いろいろな場面で言う「イエス様ならどうなさるか?」などと殊勝なことをいう。そう考えて対処していくのが、「キリストにならう」ことであるが、それは容易いことではないのはお互いが知っている。しかし、私たちに、主は祈りを教えてくれた。祈りと悔い改めと赦しなしに、信仰は完成しない。

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