イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

12月30日(水):年末雑感

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今年はコロナに明けコロナに暮れようとしている

今年も残すところ二日となった。もっと正確にいえば、あと26時間である。おかしなことに毎年思うことがある。31日と元旦に何の違いのあるはずもないのだと。そのように感じてみるのだが、やはり日本人の習性として、どうしてもそこに一線を引きたいという思いは避けられない。・・

日本の各地のお寺さんでは、この時期「すすはらい」ということを行うようである。要は、寺社を清めるということなのだろうが。同時にそれは人の心を改めるという内面的なものをどこかに含んでいるような気がする。

その一年を振り返りながら、自分のなし得なかったこと、しくじりや、怠慢のなせることなど、こもごもとこの時期、誰もがごく自然に考えさせられるのであろう。おそらく大抵の人が何の感慨もなく、歳の瀬をまたぐことはないだろう。・・・・・

つい先ほど、HATENAブログの方から、今月のアクセス数が1000

を越えたと通知が入った。今年の一番の収穫は、このブログを書き続けて来られたことだろうと思う。人様の役に立ったかどうかは別にして、私自身の役には確実に立った。このために、毎日何かを考えなければならなかった。無為に過ごす時間が惜しいと思うようになった。それにしばらく絶えていた読書もしなければならなかった。そして、何よりの収穫は、これまで信じていたイエス像が、さらに膨らみをもって私の前に現れてきたことである。このため、一日たりともイエスのことを忘れて過ごす日はなかったことである。したり顔をするときも、逆に罪の縄目に苦しむ時も、絶えず主の御目を感じられてきたことは感謝なことであった。・・・・

元々、心の丈夫な方ではない。そんな者が誤りなく歩んでいくには、絶えず主の御目が必要であった。パウロのように自分の弱さを誇る気分にはなれないけれど。確かに神の赦しと、憐れみがあったのだろう。それでなければ、今こんなふうに年末を迎え、来年こそはと殊勝な気分ではいられないだろう。年末年始はそういう意味で、日本的悔い改めのよい機会になれるのかな思う・・・・

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そういえば今年は、猫のアルが来て、私たちを慰めてくれた

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雪の多い冬になりそうだ、除雪はよい運動になる

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昔はよく言われた。子供は風の子と。

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おねーちゃんもありがとうね・・どういたしまして